男性というのは不思議ないきもので、基本的に文才はからっきし、自分が持っている専門的な知の箔付けに勤しむことはあっても、文学に関する広範な見識や、人間社会に関する冴え冴えとした感受性などは持ち合わせていないのが通例だが、自分の性欲の後ろめたさを隠蔽するためなら、途方もない文才を発揮する。その典型の成果物が、「恋愛的にいけそうな感じの女性といろいろ激しいことがあった挙句、女が唐突に死んで男がエモを感じる一連の小説群」である。世の大多数の男はいつだって、自分に都合のいい感傷のために女を殺したがっているものだが(江口俊樹「感傷マゾの男性中心主義について――10年代のインターネット論壇」(東原大学表象文化研究26号、133-49)等の先行研究を参照してほしい)、その欲望がおおっぴらに公言されることはなく、世の男性たちはこぞってこの手の小説を読むことで、自分の魂をこっそり慰めているのだ。こうした小説には、いったい何が書かれているのか? まず、抜群にいい女がいる。彼女には陰の一面がある。どこか憂鬱を抱えている彼女は、とにかくひたすらに謎めいていて、学校を抜け出して凪いだ水平線を見にいったり、なにやら不満があるらしい彼氏の自家用車を猛スピードでぶっ飛ばしたり、生命力あふれる鮮烈な絵画を描いたり、意味ありげに詩を引用したりする。「だれの詩?」「わたし。でも、だれにも言わないでね」だが、まかり間違っても、彼女が図書館に夕方まで通いつめ、電気通信主任技術者試験の分厚い参考書に付箋を貼っている様子を、男性主人公がめざとく発見することはない。たんに謎めいているだけでいいのなら、憂鬱そうな瞳で意味深なことをいうボヘミアン気取りの連中より、未来の電気通信主任技術者のほうがよっぽど謎めいている。電気通信主任技術者がいったいなにを考えて生きているのか、この世のだれも知らないし、そもそも電気通信主任技術者という職業があることも知らずに死んでいく人のほうが大半なのだ。なぜ電気通信主任技術者の予備軍たちが、「恋愛的にいけそうな感じの女性といろいろ激しいことがあった挙句、女が唐突に死んで男がエモを感じる一連の小説群」のヒロインの座を獲得できないのかというと、彼女がはっきりした人生の目標をもっていると、のちのち死んでもらうときに雑味が発生して、話の処理に苦労するからである。普通、世界に男と女のふたりがいて、不慮の事故で女が死んだら、悼まれるべき被害者は女のほうだ。だが、「恋愛的にいけそうな感じの女性といろいろ激しいことがあった挙句、女が唐突に死んで男がエモを感じる一連の小説群」に登場する女性たちは、あふれる生命力と陰の一面の両面から魅力をふりまいているけれど、死の際にはこれっぽっちも共感できない、絶妙なバランスで描かれている。彼女が死んだあと、電気通信主任技術者になれなかった人生、あるいはそうなっていた人生を想像することはない。彼女の魅力は、通りすがりの男が感受できる程度の曖昧なフレーバーではあっても、結局は肝心な部分がなにもわからないし、彼女が死んだとき、いったい彼女のなにが失われたのか、誰も教えてくれない。自然と、衆目の共感は、残された男の側に集められる。男性諸氏は、要するに〈謎のある女〉の心の奥底にある秘密を、自分だけが専有するかたちで、その核心にひと触れしたあとで、後腐れなく死んでほしいだけなのだ。謎そのものは、実のところなんだっていい。誰にも理解できないはずの彼女は、ほんのいっとき、ある男だけを受け入れる。その後の挑戦者が現れないように、機械仕掛けの神のひと押しによって、物語は彼女を巧妙にも、男の責任ではないかたちでさっさと葬ってくれる。
 まとめよう。彼女には秘密がある。だが、彼女自身の生きる目標はない。彼女たちは常に世界に絶望していて、その放浪のさなか、ひとりの男に興味をもつ。それが救いになったかのようにみえるが、結局のところ彼女は、不慮の事故やら原因不明の難病やらで死んでしまう。男は涙を流す。一見すると、彼女の死を悲しんでいるようにみえる。だが実際には、彼女が永遠に若く美しいままで自分の思い出のなかで生き続けること、彼女に別の男という挑戦者が現れないこと、彼女の秘密を自分が独占できたこと、彼女に対していっさいの責任をとらずに済むこと、彼女には人生の目標がなく自分のプライドを絶対に脅かさないことを、心の底から喜んでいる。まともな道徳観の持ち主であれば、これらの欲望のひとつでも公言すれば恥ずかしさで死にたくなるだろうが、「恋愛的にいけそうな感じの女性といろいろ激しいことがあった挙句、女が唐突に死んで男がエモを感じる一連の小説群」の読者たちは、その後ろめたさを完璧に隠蔽することができる。彼女が死ぬのは男の責任ではない。交通事故やヨットの難破、結核や脳溢血、彗星の墜落、大掛かりで抽象的な戦争などの死因たちが、不意に彼女たちに襲いかかり、世界が勝手に殺してくれる。男は突っ立っているだけでいい。男の立場は、最後まで安泰である。兎にも角にも女のほうは波乱万丈の人生を送ったが、男は結局のところ、最初の状態からなにひとつ変わっていない。抜群にいい女と最高のデートをして、自分の責任でないかたちで後腐れなく別れて、ほんのちょっと悲しい気分になったにすぎない。男はなにひとつ新しいことを学んでいないのだが、なぜか読者は”人生の諸相”の奥深い部分を味わった気分になれる。それどころか、自分が文学の“意義深い本質”に触れた気分にすらなっているのだ。具体的な作例を引用するつもりはない。みなさんも本棚を見返せば思い当たる本がいくつもあるだろうし、わからないならわからないほうがずっとまし、この手の本とは金輪際関わらずに済むほうが身のためである。
 あなたがいま読んでいる、この短編小説の主人公も、そうした「典型的男性の本棚」を自室にもつ、典型的男性である。あまりに典型的男性なので、その名前をいかにも平凡に、死洲屁手郎(しす・へてろう)と名付けてはみたが、実際のところなんだってよろしい。死洲屁手郎には最近、ちょっとした事件が起きた。高校で、彼女ができたのである。彼女の名前も、なんでも構わない。自分の趣味で好きなようにつけてみるがいい。角砂糖でできた宇宙要塞のようにめいっぱい可愛らしくするのも、公営バス常用者のような実在感のある名前にするのも、漢字の画数に凝るのも自由だ。しょせんは想像の世界で起こる出来事なのだから。結局のところはグロテスクでしかない欲望とうまく付き合っていくことが、人生を充実させるコツのひとつである。どうせこの短編の主要な登場人物は、この二名のほかには現れないので、みなさんがメモ帳を持ち出して手を煩わせる必要もない。
 かつての死洲屁手郎は、彼女をもつ男たちの皆が皆、自分に劣等感を刻み込むために女を連れ回しているのだ、あんなの外挿化された性欲の誇示(?)じゃんか、絶対にDVやってるだろ、女のほうも恥ずかしいとは思わないのかね、いざとなれば枕営業で生きていけるイケメンの性奴隷共がよ、などと手当り次第に雄弁な鬱屈を当たり散らし、精神の伽藍を乱反射して自分に反響する言葉の切れ味に内心、自分には文才があるのではないだろうか(現国だけは勉強しないでも点がとれるし)などと考えていた。それが今では、訳知り顔で、いっぱしの人生の専門家ぶって――「人に承認されるってさ、なんというか、基本的なことだよ。承認欲求をもつ人間を嘲笑うのは、自分を嘲笑っているのと同じだ。そんなことしたら、心が壊れちゃうよ。どうして、みんな、そんな当たり前のことに気づけないのかな? 好きなひとに認められたいって、誰もが持っている普通の気持ちの筈なのに……きっとみんな、孤独でしかたないんだ……だから素直になれないんだね、人間というものは……」
「よしよし」彼女は真顔で、死洲屁手郎の頭部を撫でた。
 そうすると彼は喜ぶ傾向にあったし、この時点での彼女は、どういう原理かは判らないが、なんだか奇妙なことに、彼が喜んでいる顔を見ると、自分も嬉しかったのである。彼女は、死洲屁手郎の本棚で永久の眠りに臥している〈謎のある女〉ではなかった。死洲屁手郎が教室の隅っこで本を読んでいるところを話しかけてきた、ごく普通の読書好きの高校生で、将来の仕事をすでに決めているわけでもないけれど、勉強は落ちこぼれない程度にそつなくこなし、ときどき流行りの漫画の二次創作を書いたり、自分でも小説の卵らしきものを書いてみては、ひっそりと「ボツ箱」フォルダに溜める工程を繰り返していた。小説を書こうとしていることは彼氏にも話していたが、その本文は絶対に見せなかった。どうやらそれが推理小説らしいと知って、死洲屁手郎はまたしてもいっぱしの専門家ぶって、本棚から『短編ミステリの二百年』のシリーズをひっぱりだしてきた。自分が惚れこんで、なんどもなんども読み返した、リング・ラードナー「笑顔がいっぱい」や、バッド・シュールバーグ「挑戦」の情感豊かな描写の価値を力説するのだが、どうも彼女にはぴんとこない様子。
「でもさ」と彼女はいう。「どうして女を殺すの?」
「殺してはいないよ」死洲屁手郎がいう。「ちゃんと読んだの? 事故で死んじゃうんだよ」
「殺してるじゃん、作者は。要するに女殺して気持ちよく泣きたいわけでしょ。違うの? その情感豊かな描写がどうって、女が死なないとわからないことなの? それとも、女が死ねば、もっと世界はきれいに見えるのにってこと?」
「わっかんないかなあ……」
 死洲屁手郎は、その小説の魅力を説明しようとした。みるみる彼は雄弁になりはじめた。論旨がごろっとした大きななにかを迂回するたびに、彼は最近ずっと忘れていた、自分が鬱屈としていた頃の、誰ともろくに話さなかった自分の偉大なる雄弁さを思いだした。だが、うまく説明できたと思うたびに、なぜか彼女が遠ざかっていく気がした。結局、彼は途中で話を切り上げた。
「まあ、いいよ。君がわかりたくないってことはわかったよ」
 彼女と別れたのは、その会話が原因ではなかった。そもそも、ひとつの決定的な出来事が原因ではなかった。降り積もった違和感は、日常会話のあちこちにきらめいていた。彼と話すことは、もう彼女にとっては楽しくないことだった。よくあることだった。死洲屁手郎は、またしても雄弁になって、どうして自分を嫌いになったのか教えてほしいと、なぜか説教するように話した。彼女の心が凍りついているのがわかると、今度は、「僕は君がいなきゃだめなんだ」という論旨の話をやたらと遠回しに語りはじめた。怒っているんだか甘えているんだかさっぱりわからなかった。
「なぜ別れるか、そんなに教えてほしい? そんなに人のせいにしたいの?」
 彼女は普通の人だった。
 謎めいたところはどこにもなかった。
 それでも彼は、彼女の謎を探しつづけた。
 東原大学のキャンパスで再会したころには、彼女の夢を見ることもなくなっていた。彼女はいまも小説を書いていた。推理小説にはもう退屈しているらしいけれど。当たり障りのない、核心をはぐらかす、大事な部分を見せてくれない会話。彼はもう、そういう社会性のある普通の会話を平然とできるようになっていた。大学敷地を出て、ファミレスに向かう最中も、彼女はまだ隣で話を聞いている。その気があるのかもしれない。夕飯に誘うぐらい、べつに構わないんじゃないだろうか。
「あのさ。よかったら――」
 横断歩道をふりかえった。
 彼女に向かって、猛スピードのワゴン車が迫ってきた。
 スキール音がした。激突の直後、路面にゴムの焦げる匂いと、白煙がたちこめた。フロントガラスが、呆然とした顔で直立する彼女の足元に飛散する。ボンネットに電柱がめり込んでいた。彼女は迂回して、車内をのぞき込んだ。エアバッグを抱きしめている運転手が、さしあたり生存していることを確かめると、点滅する青信号のふもとから、こちらを怪訝そうに見上げた。