「塩梅を探る」第1回:自己紹介を探る

改めましてはじめまして。柿内正午(かきないしょうご)です。

都内に暮らす会社員です。

いきなりここで躓きますが、自己紹介って難しくないですか? ALTSLUM という場所に惹かれてくる皆さんにとって、僕の居住エリアだとか、属性って、結構どうでもいいんじゃないかとも思うんです。

ことインターネット空間において、フィジカルな世界における「お前誰なの?」というのは無効化できるという夢を見ちゃいますし、だからといって「何ができるの?」という能力主義的なポジショニングもなんだか煩わしい。となるとどういう自己紹介がちょうどいいんだろうか。僕はこのALTSLUM のWRITERS のページのプロフィールはかなり「何ができるの?」に応えるような形で仕上げちゃってますが、本当にそれでよかったのだろうか。

先走ってしまいましたが、この連載は、ざっくりと言うとさまざまな個別具体的な場面における「ちょうどいい塩梅」を探っていくという感じです。興味のある方は詳しくは第0回の声明をご覧ください。

さてさて、私は柿内正午です。本名ではありません。

とはいえ本名で呼ばれるよりもずいぶんこちらの名前での社交の方が実りが多い感じがしています。自分で勝手につけた名前が社会に流通していくのは痛快ではあります。

しかしこうして僕がアイデンティティというものをあんまり信用していなくて、自作したペルソナで屈託なく遊べるのは、例えば僕がシスヘテロ男性で、正社員で、既婚者で、というようにたまたま現状の社会の構造にフィットしているからなのかもしれない。既存の構造に異和を感じずに済むからこそ、自分がフラットであるような感覚を持って、自分を好き勝手にカスタマイズできるような気分になれるのだろう。

これは結構、いやな感じです。

僕が自己紹介を苦手とするのは、「なんだかんだでお仕着せの属性を組み合わせてアイデンティファイできてしまう自分」に欺瞞や後ろめたさを感じる瞬間だからなのかもしれません。それは「僕の存在自体が、ぜんぜん満足できない現状の社会のあり方を追認するようなものなのではないか?」という恐れでもあります。オエエ。

実生活における自己紹介はこんな逡巡の余地はあんまりない。だいたい「あ、柿内でーす、なんか書いたりしてます、へへへ」とか「(所属)の(本名)です。お世話になっております!」とかで済ませてしまうし、それはそれでいいと思う。さくっとした自己紹介で済ませてしまうような個人の単純化は暴力的ではあるけれど、別に大半の場合はこちらも「自分のことわかってほしい」と思ってないし、厳密な僕のアイデンティティに関心なんて持たれないことの方が大半だからだ。もし継続的な関係になっていくことがあれば、日々の言動の中で僕がどんなやつなのかというのは段々と形成されていくだろう。僕にとって、日常生活における自己紹介はだから「なるべくてきとうに済ませる」というのが「ちょうどいい塩梅」らしい。

でも、僕はこのALTSLUM で自己紹介をしようとするとき、「お前はどんな場所にいる?」と問われている気分になっているらしい。そして、できることならそれに誠実に応えていきたいと感じているらしい。だからこそ、いま躓いている。あれ、自己紹介ってなんだっけ? どうやってやるんだっけ? 僕ってなんだっけ?

連載初回からだいぶ迷走しているけれど、僕はまだ「お前はどんな場所にいる?」という問いに応えられそうにない。

ALTSLUM の気分のひとつに「アナーキーであること」があると考えている。僕にとってアナーキーとは自律のことだ。自律。自らの欲望にも、外からの命令にも流されず、自分の立てた規範に従うこと。

僕はどのような規範をよしとしているのだろう。たぶんこれは大きすぎる問いだ。だから、僕が何者かというのはこの連載を通じてぼんやりと形が見えてきたり、また見失ったりするだろう。結局ふだんの自己紹介と同じようなところに落ち着いてしまった。

今回は最後にいま自分の中にある欲望について点検しておきたい。

僕がこの連載において貫徹したい欲望は「連載をしたい」だ。それ以外の「なるべくマシな人間だと思われたい」とか「できることならイケてたい」とかは、用心して距離を取っていきたい。

結局、場所や他人との関係の中でしか個人の形というのは成立しない。つどつど外界からの圧力や、この自我の内圧と、どういう塩梅で折り合いをつけていくのか、それを試していくしかない。

いろいろ試していこうと思うので、よかったらおつきあいください。一緒にこの世の「ちょうどいい塩梅」を探っていきましょう。

 

【今回の探索の主な助けとなったもの】

  • 『アメリカン・ユートピア』(2020年。スパイク・リー監督)
  • グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』小磯洋光訳(フィルムアート社)
  • 杉田俊介『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』(集英社新書)
  • ジェームズ・C・スコット『実践日々のアナキズム』清水展/日下渉/中溝和弥訳(岩波書店)
  • 柿内正午『会社員の哲学』(零貨店アカミミ)