私は誰だー自分の「障害」についての考察ーpart0

 はじめまして、WNBAと申します。現在20代で、今は九州に在住しています。正直なことを言えば、記事に何を書くかずっと、それこそ仕事中でさえも悩みました。というのは、私の場合、様々な分野に対して薄く広く興味関心があるためです。ゲームはもちろんのこと、生き物に野球、読書に映画に歴史に自然に、環境問題や人権問題全般など様々です。これは「いいこと」のように思われるかもしれませんが、逆の視点で考えれば、「専門家」になれないということでもあります。つまり、この分野に関しては大抵のことは知っているとか、マニアックで深い会話ができるとか、そういったことが難しい場合があるためです。一方で、私の場合、関心のない分野には一切の関心を持つことができない、という特徴もあります。例を挙げれば、音楽は今でこそ頻繁に聞くようになったけれど知識は皆無で、特に学生の頃はボーカルの意味すら知りませんでした。ファッションも全然関心がありませんし(当然ながら最低限の身だしなみには気を配りますが)、何より社会的な常識がないという致命的な問題があります。強引にまとめれば、「広く様々な事象に関心があるがその枠に入らないものに関しては極端に無知・無関心」といったところでしょうか。とはいえこの点も今では障害による特性の一つと捉え受け入れています。

 さて、前置きが無駄に長くなってしまいましたが、じゃあ一体何を書こうかと悩んでいたところで浮かんだのが、自身の障害についてでした。自分の一部を構成し、特にこれは障害なんじゃないかと「気付き」を得て以降はアイデンティティにも大きな影響を受けました。現時点の計画としては、まず私が辿ってきた人生や障害に気付いた経緯について、その後は、なぜ自分はこうなのか、自分のこの傾向・特性は何に起因するのかということについて私の稚拙な知識も参考にしつつ自分なりの解釈を加えて考察していきたいと考えています。

 また、ここでは敢えて私の診断名(障害のです)は書かないこととします。理由としては、医師から下された診断と自認する障害がやや異なるためです。私は研究職でも医療関係者でもないので断定するわけにはいきませんが、だからといって当事者である私が違和感を覚えているのに医師から伝えられた障害名「のみ」を書くのは少し抵抗がある。そういった理由で障害名は省かせてもらいます。

 ちなみに、障害以外についても書いていこうと思っています。やや具体的に書けばゲームの簡単な感想であったり、日々の生活あるいはこの社会の中で感じる違和感であったり(ツイッターは字数制限があるのでどうしても書く気になれないというより書けない)、時事問題についてであったり。感じたこと、思ったことの中でもできる限り話題として共有しやすそうなものを書いていきたいですね。

 拙い文章でしたが、最後まで目を通していただき感謝します。少しでもよりよい世界になることを願ってーー