「塩梅を探る」第5回:「ナメられる」を探る③

前回までに、現状の社会が「ターゲットユーザー」としている僕のような人間は、それ自体では偉くもすごくもなんともなくて、ただ偏向したサービスをたまたま享受できているだけであることを確認してきたつもりです。

ありのままの人間というのは、だいたい大したことありません。

それなのになぜか「男」たちだけが下駄を履かされている。

「男」たちは意識的に「ナメられる」ことで、現行のシステムに対して軽微ではあれ動揺をもたらしてやろうぜ、ということを提案してきました。

今回は具体的な「ナメられ方」について書いていこうと思いますが、正直なところ、僕は具体案を書くのが苦手です。というか、書いていて面白くないのです。

抽象化された話の方が、個々人がさまざまな状況に適用してみて、自分なりの行為に結びつけやすいと考えているからです。

べつに抽象度が高い方がえらいとか正確だという話ではありません。前回までの話だって、じゅうぶんに「人それぞれ」という感想を持つ人がいるでしょう。具体性を上げていくと、より一層この「人それぞれ」感は増していくと思います。とはいえ、具体例は「自分とはちがう」という反応を強く呼び起こすからこそ、これを読む誰かが自分の状況を点検するのに役立ったりもするかもしれない。そういう思いで書いていきます。

だから先に結論を言っておくならば、「状況は人それぞれなので、おのおの自分なりに考えて、よりマシな未来に向けた行動を、無理のない範囲で試してみよう」。これ以上のことは言えません。

ここからはより一層、一般化できない、僕個人の経験と実感とに偏った実践の実例であり、そのままどこにでも応用できる技術ではないはずです。都合上、提案口調で書いていきますが、提出された案の正当性は検討にひらかれています。状況は人それぞれなので、おのおの自分なりに考えて、よりマシな未来に向けた行動を、無理のない範囲で試してみてください。

ナメられテクニック① ご自愛ください

ご自愛。つまりなによりも自分の心身の健康に気を遣うということ。

社会的動物である人間は、自分の心身を削って成果物を出すことをいいことのように感じてしまうバグを持っています。

けれども、ひとりひとりが無理のない状態で、まずまずの満足感をもって暮らしていくこと以上に大事なことなんてありません。

嫌なことは無理にやらない。しんどいときは休む。

そして、「嫌だな」「しんどいな」という判定のハードルは、低くていい。

丈夫さは人それぞれなので、周りではなく自分の状態に注目して、違和感があったら休むことを心がけてみる。

それは慣れるまでは「サボってる」「楽してる」みたいな罪悪感があるかもしれません。

そうした罪悪感は「何かの役に立たなければ自分の居場所がない」「成果物を出さなければ存在している意味がない」という思い込みが起こさせるものでしょう。

多くの人はこの思い込みに囚われているので、自分を大事にしてこまめに休み、貢献度が低かったり、成果物の量が少なかったりする人のことをナメがちかもしれない。

繰り返しますがひとりひとりが無理のない状態で、まずまずの満足感をもって暮らしていくこと以上に大事なことなんてありません。だからナメられるくらい大丈夫です。なにより、適度にナメられたほうが休みやすくなります。無理をしないことで、自分に対する貢献の期待値がちょうどいいところまで低めに調整しておく。そして同じくらい大事なのは、そのぶん他の人にも期待せず、「無理な時は無理だよね」と休みやすい雰囲気を一緒に作っていくこと。

休んでしまうとまわらない業務があったとして、そんな危うい業務の継続よりも、自分の健康の維持の方がずっと大事です。

ほどほどの期待値で、お互いのしんどさを認め合うところから始めないと、余裕がないもの同士がお互いの余裕を削りあう地獄がいつまでも続いてしまう。まずはこれを食い止める。

ナメられテクニック② 自信のなさを開示する

ここでいう自信とは、「自分の考えや行動の正しさを信じる」という意味でのそれです。

自分の価値への信頼は、他人からの評価を根拠にするべきものではなく、個々人の「決めの問題」なので、可能ならば「自分くらいは自分を価値のあるものと仮定しといてやろう」と決めちゃってください。この決定は重要です。なぜならば、自分の考えや行動の正しさを根拠に価値を決定しようとしてしまうと、間違えることや失敗への恐怖が膨らみ、なにもできなくなってしまうか、最悪の場合間違いを認め訂正することができなくなってしまうからです。

まずは「自分の価値は、自分の間違いや失敗とは関係なく、つねにあるもの」だと思い込みましょう。

そうすると気楽に自分の考えや行動を疑うことができます。

「なんもわからん。」

そんなことばかりです。

びっくりするほどなんもわかりません。

格好つけてわかった風でいたくなりますが、わかっていないことを思い切って周りに伝わる形で開示してみる。そして、わからないなりに恐る恐るいろいろ試してみる。

この連載だってそうです。僕はとにかく自信がないままに、今の自分に書けそうなことを書いてしまいます。そうして間違い、失敗したら、ちゃんと落ち込んで、次こそは、とマシなものを書いてみる。その繰り返し。そうやっていい塩梅を探っていく。

大事なのは、「自分はものすごく誤っているかもしれない」という怖さを持って、それでも言葉や行動を出しているということ。そしてじっさい誤っていたことがわかったら素直に反省し、訂正していくこと。誰かに迷惑をかけたり、傷つけてしまった場合、ちゃんと凹んだり後悔したりして、よりマシな自分へと自分を作り替えていくこと。

無謬の人なんていません。

ぼんやり何も行動を起こさないでも生きていけてしまう「男」は間違ったまま間違いに気づかずそこに居直ることができてしまうというクソな現実があります。じっとしていれば逃げ切れる、そういう狡い保身なのかもしれません。本当に底抜けの鈍感さなのかもしれません。何かを発言したり、行動を起こすのは、怖いことです。怖くて当然なのです。他者とちゃんと関係するというのは、つねに失敗の怖さがついて回ります。もしこれまで怖さを感じたことがないとしたら、それはあなたがちゃんと他者と向き合ってこなかったということにほかならない。

自分の間違いをもっとちゃんと怖がり、怖さを乗り越え踏み出してみて、失敗して、訂正していく。そういう態度が必要です。しっかり他者と向き合い、自信をなくしましょう。それでも懲りずに、次のやり方を試してみましょう。

ナメられテクニック③ 大したことないアウトプットを量産する

トライ&エラーは量をこなしてなんぼです。

失敗しましょうと言われても失敗は嫌なものです。失敗まではいかなくても、なんかスベった、なんにも起こらなかった、みたいなこともあるでしょう。

それにいちいち全力で凹んでいたら、あっという間に「自分はいないほうがいい」みたいなところにまで落ち込んでしまう危険があります。

この全力の凹みリスクを分散するためにも、トライは一極集中ではなく、いくつもの方向に同時並走させましょう。

僕はこの自主連載を「月イチ」だと決めました。

決めたからには自分で納得のいかないクオリティであれ、一行であれ、「月イチ」で更新していくつもりです。

まったく面白くない回も量産されるでしょう。「こいつ大したことないな」とナメられると思います。

それでいい。

一球入魂では、一球に託す思いが重すぎて、失敗のダメージが大きい。

数撃っとけば、いくらかは当たるかもしれない。

大したことなくていいので、とにかく量を作ってみる。そしてそれを恥ずかしげもなく発表してみる。

自主制作の場合、大したことなければ無視されるだけです。誰も自分にそこまで期待なんかしていないので。勝手にたくさん作ってみて、どんどん発表してみて、たまーにある反応を手がかりに、ちょっとずついいものにしていく。

そうやって何かを作っていくことは、誰かの反応なしでも、なんだかとても楽しいことだと僕は思っています。

ナメられテクニック④ 誰も自分に興味がないことを自覚する

テクニック②や③と重複する感じもありますが、人類の総人口比で考えれば、すべての人は大多数の人から興味津々に話を聞いてもらえるということがありません。

ナメるどころか、大半の人は、僕やあなたに何の興味もない。

だから、「俺の話を聞け」と思っていたとしても、それは無理なことです。だって、興味ないんだもん。

それでも何かを話してみたり、書いてみたり、作ってみたりする理由は、そうした行為自体の楽しみに求めましょう。

自己満足のほうがいいのです。

他人からの反応に期待せず、自分で勝手に満ち足りましょう。

もし反応が返ってきたら、素直にものすごく喜べばいいです。小躍りしてもいいでしょう。

ナメられテクニック⑤ 「ありがとう」や「うれしい」をちゃんと伝える

世界はあなたに興味がない。だからこそ、話を聞いてもらえたり、頼んでいたことをやってもらえた時、ちゃんと感謝を伝える必要があります。

やってもらって当然のことなんて人生には存在しないので、他人の行為にはなるべく「ありがとう」を言う。

いうことをきかせる立場にあると、どうしても「ナメんじゃねえぞ」という気持ちで自分を守りたくなります。そしてなんでもかんでも命令みたいな感じでふんぞり返りがちですが、これ、最悪なのでやめましょう。

どんな立場にあれど、やってもらって当然のことなんて人生には存在しないので。

ナメられテクニック⑥ 先に譲る

狭い歩道の向こうからくる人、ふとした拍子に並走みたいになってしまった自転車、電車の座席。

あらゆる「競争」っぽさが生まれてしまう状況、競争はないので気持ちよく率先して譲りましょう。

譲るという行為は愚かしい競争原理から率先して降りるということです。

僕、これぜんぜんダメで、ついつい「負けないぞ!」みたいな気持ちで張り合っちゃうんですが、ほんとうによくないです。そもそも勝負じゃないことにムキになると、勝っても負けても嫌な気分が残ります。

勝負を勝負じゃないものにズラすこと。

競って奪うというゲームから、気持ちよく譲るという別のゲームに切り替えること。

この快感は、だれも嫌な思いをしないで済むのですごく楽しいです。

楽しいはずなのです。

だから、僕はちょっとこれを実践していきたいと思います。

ほとんど自分に言い聞かせるようにして書いてきましたが、自分の偉そうな口調に耐えきれなくなってきたのでここまでにします。

ナメられたくないという気持ちはどこからやってくるのか、など他にも考えたいことはあるのですが、疲れてきたので「ナメられる」の手探りはこれでおしまいにするつもりです。

来月は、お金の話とかしたいなあ、と考えていますが、しんどくなって変更するかもです。

ではまた!