核弾頭ミサイルを搭載したアメリカの原子力潜水艦モンタナがカリブ海ケイマン海溝で消息を絶った。付近で油田試掘試験中の海底プラント、ディープコアのメンバーは海軍特殊部隊SEALと共に救助活動を開始する。しかし原子力潜水艦の沈没はアメリカとソ連間の緊張を急激に高めていく。そのさなか深海の奥底から地上の生命体とはまったく違う何かが人類に接触しようとしていた……。
『アビス(The Abyss)』は『ターミネーター(The Terminator)』や『アバター(Avatar)』等で知られるジェームズ・キャメロン(James Cameron)監督の1989年公開の映画だ。2023年にキャメロン監督の過去作『エイリアン2』、『アビス(The Abyss)』、『トゥルーライズ(True Lies)』『タイタニック(Titanic)』)が4Kリマスターされた。アビスはターミネーターとエイリアン2を続けざまに成功させたキャメロンの渾身の作品だ。
映画とはいまさら言うまでもなく作り物だ。製作者は撮影された素材を何とか鑑賞者が本物だと実感できるように(表面的、物理的な面でも心理的な面でも)繋ぎ合わせる。キャメロンもそうだ、他の監督たちと変わらない。だがキャメロンは徹底的にやる。
従来の海底モノでは水中シーンはスモークを焚いたスタジオでハイスピードカメラでスローモーション撮影をしていた(乾いたスタジオで水中を表現するから「ドライ・フォー・ウェット」と呼ばれる)。だがキャメロンは自分の求める映像のためには実際に水中で撮影する「ウェット・フォー・ウェット」で撮影すると決断。適切な水中タンクが存在しなかったため建設途中で破棄された原子力発電所の原子炉収容庫を750万ガロンの水で満たし実物大のディープコアのセットを作り沈めた。また太陽光が届かない深海を表現するため暗幕でプールを覆った(この暗幕が敗れたため今度は黒いビーズで水面に敷き詰めた)。撮影用カメラ、水中バイク、PAシステム、実際に俳優が着用する顔が見える潜水スーツ等々、キャメロンはこの映画のために新たなテクノロジーを発明していく。既存のテクノロジーで足りないのなら作るだけだ。それはデジタルの分野にも及ぶ。アビスで最も有名なシーン、深海から訪れたNTI(Not Terrestrial Intelligence)と劇中で呼ばれるものがディープコアのクルーの前に姿を現す場面はフルCGのキャラクターが映画に現れる最初期のものの一つだ。もちろん場面によっては従来の「ドライ・フォー・ウェット」での撮影や実際の潜水艇を改造した本物、それの模型を使った特撮等あらゆる手段を使った。それには水に青色の食用着色料を使って陰影を出したりクルミの皮やガラス玉を使って海中の粒子や泡を表現するといったアナログな手法も存分に含まれている。ありとあらゆる手法で素材を撮影しそれらを編集で複雑に組み合わせることでアビスは深海のリアリティを観客に感じさせようとする。
アビスでは以上のような映画技術の上でキャメロンがハイスクール時代に液体呼吸の講義を受けて閃いた短編小説をもとにスタンリー・キューブリック監督の2001年宇宙の旅にインスピレーションを受けた物語が語られる。2001年宇宙の旅は15歳のキャメロンを映画に目覚めさせた一本だ。エド・ハリス演じるディープコアのリーダー、バッドは核弾頭の爆発を解除するため人類未踏の深淵、アビスに降りていく。そこまで行くために史上最も困難と言われた撮影とキャメロンのストーリーが必要だったのだ。
アビスは前二作の成功で予算とキャメロンの裁量が大幅に大きくなった作品だが興行的には成功とは言えなかった。しかしそれ以前の作品に存在する女性やヒーローのエモーション、その後の作品でのモチーフとなる海、それらをまとめる特殊効果、撮影技術を徹底的に駆使し無ければ新たに作る姿勢等、その後もずっと彼の作品に通底しているものの高純度の塊がアビスだ。
15歳のキャメロンは2001年宇宙の旅を見てそのまま劇場の外の路上で吐いてしまった。あまりにも理解不能だったから。だがその後アビスを撮る時点で17回鑑賞した。しかも家でビデオで観たことは一度もなく全て劇場で観たのが自慢だそうだ。アビスを今、劇場で観ることはできない。キャメロンも家のテレビやモニターで観て欲しいとは思っていないかもしれない。でもオレは観て欲しい。アビスは今も色褪せない傑作だ。こんな綺麗なアビスはずっと観れなかったんだから。
アビス(THE ABYSS)
監督:ジェームズ・キャメロン(James Cameron)
参考文献
・ドキュメンタリー「アンダープレッシャー/アビス完全版のできるまで」
・『ジェームズ・キャメロンの映像力学』高橋良平・著 ビクター音楽産業