冬は心身が固くなる。
私の場合、身体はまだマシだ。日によっては一日動けないし、痛みもあるが、温めたりストレッチしたりして何とか動く事は出来る。元々の運動神経には自信があるので、調子の良い日なら器械体操等を含めた色んな動作が出来るだろう。
対して、精神はどうか。心身は連動しているので、身体の調子が良ければ精神の調子もやや上向いてはいるはずだが、私は昔から自分の感情の動きを把握したり動かしたりするのが苦手だ。
そもそも感情は意識的に動かすものではないのかもしれない。私は小学五年生で一度人格を作り直した事があり、それが今でも影響しているのかしていないのか知らないが、大体の感情を意識的にストップさせる事は可能だ。しかし、一度ストップさせた感情を再度動かすのは骨が折れる。
私の今の感情を予想して説明すると、こうなる。
三年弱一緒に暮らしていたハムスターのうにさんの誕生日が丁度今頃で、悲しみと喜びがあるが、悲しみは私の感情の底を満たすように広く深く覆っており喜びはそこから飛び出す事が困難だ。また、首と腰の不具合により絵を描いたり漫画を描いたりする事が困難になっており、これが若干の焦燥を生み出している。近々弁護士に相談しようと思っている案件が一つ有り、これは私の怒りの元となって私の隣に静かに座っている。そもそもうつの為、本を読んだりゲームをしたりが困難で、何とかそれをやっても楽しみは薄い。
今のところ、私が干渉出来るのは私の隣にいる怒り程度だ。悲しみは突然濁流のように暴れて相手をしていると疲れるのでストップさせている。うつはここ十数年の私のスタンダードなので慣れているものの、喜びも楽しみも上手く感じる事が出来ない。私には今怒っていないが、怒りは大体常に隣に座っているので肩を叩けばすぐ動き出す。今、私がコントロール可能なのは怒りのみだ。
この怒りの感情操作が一番得意だと思っているので適度に創作活動でも使用している。しかし、こいつがずっと隣にいるだけなのは私の(出来るだけ楽しくなって欲しいと望んでいる)人生に似合わない。確かにこれは私に必要な感情で手放すつもりはないが、他の奴らはどうしたんだよ。うにさん死去間もないので悲しみにストップをかけているのは、まぁしょうがない(ストップかけないと一日泣いている)。喜びや楽しみは、一体どうしちゃったんだ。いや、うん、うつだからね。分かるよ、中々出てこないんだね。ちょっと出てきてもすぐ引っ込んじゃう。中々動いてくれません。動いても忘れてしまう程一瞬です。これが十数年続いている。多分似たような状況の人は沢山いると思う。
こういう一瞬の喜びや楽しみの記録の為にエッセイ漫画『うにさんと私』を描いていた部分もあったわけだが、あと3頁でTwitterでの連載は終わる。その後は自分で適宜、賃金と信頼という私が裏切れない二大巨頭抜きで、自主的に記録していく必要がある。私は怠惰なのでそれをやっていけるか今から不安だ。
今日はサボテンの花が咲いて嬉しかった事を写真に撮って記録した。好きな漫画『バクちゃん』の塗り絵もしたし絵も描いた。エアコミティアにも既刊のみだが参加して、楽しかった、はずだ。おおよそ「私は今この感情のはずだ」という推測でしか感情を把握出来ない。それほど私の感情のランプの光は乏しい。難治性うつだし、難治性ってついてるくらいだからそうそう治らんのかも分からんが、もうちょっとランプが明るくなってくれないかなあと眺めている。
幸い、隣に座っている怒りはいつでも私の中に戻ってくるし出ていく。こいつがちゃんと動くだけまだマシかなと思って、今後も自分の感情を観察していきたい。