「塩梅を探る」第10回:型通りを探る

僕はヴィレッジヴァンガードと同郷で、十代の大半はゼロ年代とかぶっていました。ミシェル・ゴンドリー、川上未映子、浅野いにお、西尾維新、毛皮のマリーズ……、現代となっては実感の伴わない空疎な言葉と化している「サブカル」に温度があったころ、僕もまた自意識を肥大化させ逸脱することこそが格好良く、世を呪い退廃的に生きることこそが抵抗であると信じ切っていたのかもしれません。

松本大洋を耽読し、syrup16g を愛聴する。くしゃくしゃの髪に丸眼鏡、紫のカーディガンで猫背で歩く。それが当時の僕の美意識でした。いま振り返っても、あまりにバカバカしくてキュートです。恥ずかしいのでもうやらないとも思います。

当時の僕にとってサブカルとは逸脱と同義でした。既存の常識や制度から逸脱し、徹底して「自分らしく」ある。そのためには孤立も厭わない。そういうスタンスこそがサブカルでした。甘くて繊細な自分の感性こそがすべてで、世界はその感性を傷つけたり受け入れたりすることで満足させるために存在した。

いま振り返って見れば、新自由主義的な政策が台頭し、ますます個人が「自助」に追い詰められていく社会に対して、そっちがそのつもりなら俺たちだって社会を捨ててやる、そう嘯くようなカルチャーだったとも読めます。ただ、当時は単純にそういう斜に構えて傍観者を気取る態度が格好よく見えたものです。

あれから二十年たって、この国はいよいよ貧しくなっていて、社会からの逸脱は、格好つけのポーズからつまらない事実になり下がりました。

当時の感覚では、逸脱は意志して選び取るスタイルでした。現代において、逸脱は制度上の保護からの脱落を強く意味しています。逸脱とは意志してするものではなく、否応なく押し付けられるものになっている。その感覚を、おそらくゼロ年代までのサブカルを強烈に内面化した人たちは獲得し損ねているのではないかと感じることが増えました。

「あいつらだけが、特別でクールな逸脱をわがものにしている。」

現在、社会から強いられて不利な立場に置かれて困っている人相手に、そんなズレた妬みをこじらせている「おっさん」たちの醜態を、これまでに見飽きるほど見てきましたが、彼らの心情を規定しているものは、もしかしたら僕自身のルーツにも共通するこうしたサブカル的逸脱への志向なのではないだろうか、そんなことを考えています。

自分があのころのカルチャーをどう受容したかを鑑みるに、当時のそうした逸脱への憧れが、じっさいに望まずに逸脱した立場に置かれている他者への仲間意識を涵養する面がまったくなかったとは思えません。とはいえ、そうした仲間意識が非常に自分本位で幼稚なものであったこともまた自明でしょう。

「自分は特別な存在である」という実存の問題を、逸脱にだけ賭けてしまった人たちは、現在においては盛大に負けているのです。

その損失を認めたくないからこそ、逸脱を「特別」の証と取り違え、見当違いの羨望に焦がれる者どもが後を絶たないのかもしれません。

僕自身、サブカルに励まされながら日陰を生きてきた人間です。そういう自認は拭い去れそうにない。それでも、べつに僕はもう「特別」でありたいとは思わないし、無理に逸脱したいとも考えません。自分の思うように暮らしていって、それがあまりに定型的であったとしても、そのことに後ろめたさやつまらなさを感じないように努めています。

「特別」な人など存在しません。どんな生き方も平凡でありうるような、いい加減な社会の到来を僕は望みます。それは型がいくつも濫立していて、逸脱の余地が少ないようなものであればいいなと思います。どんな型からも自由な個人というのは、もはや人間の形を保てそうにありません。個人の自由なんて、どんな型を選択するのか、という程度のことに過ぎないはずなのです。型通りであることを恐れず、型がたくさんあることを喜びたい。そのためにも、型の種類はいくらでもあったほうがいい。

現在にサブカルチャーというものがありうるとしたら、それはある型を所与のものとしてそれを破るような逸脱の身振りではなく、べつの形の型を提示するようなものではないでしょうか。

以上、今月の与太話でした。生半可な経験則で知ったような口を利くのも、サブカルの悪癖かもしれませんね。