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2020/11/27収録
ワニウエイブ
始める前にお湯をわかしたい(希望)
高島鈴
沸くまで待ちましょうか!
ワニウエイブ
沸かしながらで大丈夫ですw
秋葉令
グツグツ……。
高島鈴
ではそろそろ始めましょうか。
できれば秋葉さんに簡単な自己紹介いただいても大丈夫ですか?
秋葉令
秋葉令です。何をやっているのかよくわからない人です。
ときどき思い立ったように小説を書く場合があります。
ワニウエイブ
ほんとみなさんも、チャットにしたいというだけでライター権限申請していただいて結構です。まだ初期衝動で動いてる時期なので(笑)。ルーリングは追々やっていこうと思ってます。
高島鈴
了解です! ゆるくやっていきましょう。では第5回、これまでのけっこう重めの話題に比べてゆるいテーマです。
ワニウエイブ
今回はちょっと雑談回というか、こういうのもあるよっていう幅をそろそろ出していきたいという個人的な思いがあり、みんなに「行きたい場所ってある?」というのをちょっとお聞きしたい。
なんでこの質問なのかは自分的には結構理由あるんですが、おいおい言います!
高島鈴
言い出しっぺの法則で、ワニウエイブさんから教えてください!
ワニウエイブ
僕は風景が劇的に違うところみたいなのがすきで、ほんと外国はどこでも行きたいんですけど。これどうだろうな、馬鹿にされないかな。
ニューヨークに行きたいんですよね。
高島鈴
いいじゃないですか!
具体的に理由はあるんですか?
ワニウエイブ
昔から常々思ってるんですけど、ニューヨークに行かない人生ってあるのかな? って思ってて。
高島鈴
むしろニューヨークに行きたいと言うと馬鹿にされるかもしれないというマインドのほうに興味が行きますね。
ワニウエイブ
ニューヨークって映画とかでもよく出てくるし、まあもっとも有名な都市といってもいいとおもうんですが。
高島鈴
あるのかな? というのは、自分の人生の選択肢に、ってことでしょうか。
秋葉令
自由の女神像とか、エンパイアステートビルとか。
ワニウエイブ
そうですね、宇宙単位でみたときに、地球に寄った異星人はニューヨークに行くだろ という。
高島鈴
え〜〜、そうですかね、それは異星人を舐めている気がする。
早川
ハリウッドのせいではないか、それは。
ワニウエイブ
ハリウッドのせいかな
秋葉令
ヒッチコック映画で自由の女神像にぶら下がったり、キングコングがエンパイアステートビルに登ったりとか。
高島鈴
異星人がどのような宇宙観で生きているかってわからなくないですか? 多分異星人ごとに違うと思うし。
早川
地上絵とかのほうが気にならないかな? 異星人視点なら。
高島鈴
そう、なんかわれわれの想像力の範疇の異星人像ですよ、ニューヨークに降り立つのは。
ワニウエイブ
なんかすごい、自分の中の「真ん中」の場所なんですよね。これ自体幻想かもしれないけど。
高島鈴
それはなんか、〈帝国〉っぽくはないか。
ワニウエイブ
ああ、でもまさにそうですね。地球を帝国として捉えたときに中心地であるという。だからすごい権威主義的なんだとおもいます。それが「恥ずかしい」ってマインドに繋がってる。
秋葉令
日本でいう東京タワーとかスカイツリーみたいなものでは。シンボルっぽく作られた場所。
高島鈴
理解しました。まあでも秋葉さんが挙げているとおり、好きな映画の舞台に行ってみたい、的な気持ちは少しわかります。自分のなかのシンボル、ってことですね。
ワニウエイブ
あんまりこういう話するときに「ニューヨーク行きたい」って言う人いないなというのも自分にあり。
秋葉令
観光のために作られた舞台装置っぽさはあります。
ワニウエイブ
そうそう、自分の中で「観光」自体がそれだけ軽薄な行為なんで、まず真ん中のところにいきたい、どうせ観光するなら。
早川
ああ、観光なんだ。何しにいくのかによるなって思ってたところだった。
ワニウエイブ
住むでもいいですよ!何かしに行くでもいい。
高島鈴
そもそもみなさん旅行しますか?
秋葉令
子供の頃ってやたら旅行に行かされませんでしたか 修学旅行とか。
ワニウエイブ
旅行、まったくしないんですよ、興味も実のところそれほどない。でもしたほうがよいなともどこかで思っている。
早川
「行かされる」じゃないとほとんど旅行ってしないな。出張って旅行に入んないか。
高島鈴
私はマジで旅行が苦手で、そもそも数日分の荷物を鞄に詰める想像をするだけで疲れてしまうし、あの家に帰ったら処理せねばならない荷物を抱えて家に帰るというプロセスが本当に好きではないです。
早川
キャリーケースはマジで呪いですね。
高島鈴
そう。でも「行かされる」旅行は一周回ってすげえ好きですね、興味のないものについて何か決めるのが苦痛だから、ついていくだけでいい旅行はかなり楽です。
早川
あ、でも逆に「キャリーケースとかいらねえんじゃない?」って思って、一昨年韓国に出張したときはかなり軽装で行ったな。結構良かった。
高島鈴
おお、軽装とは、かばんひとつ的な?
早川
PC入ってまだ余裕あるくらいの、それなりなリュックで4泊くらいでした。かばんひとつよりは全然でかいですね。必要なものは現地で買えばいいやって気付いた。
ワニウエイブ
自発的に「旅行」行ったことないんですよね僕。
高島鈴
わかる。自発的な旅行はない。
ワニウエイブ
それってなんでかっていうと、やっぱり金銭的な制約があるからというのがとても大きくて。時間的にもですね。
高島鈴
そういう意味で、ほんとに旅行って思い切りですよね。行くぞ!って勢いつけないと行けないよ、って旅行好きな友達が言ってました。
早川
他人の金の旅だとUberとか気兼ね使えて最高。自費だとちょっと無理かも。
ワニウエイブ
でも、別にここが最高と思ってるわけではないじゃないですか。「ないじゃないですか」って押し付けがましいな、ぜんぜんここが最高ではないと僕は思っていて。
高島鈴
「ここじゃないどこか」に行きたいとは思ってますね。
なんか『鉄血のオルフェンズ』みたいなことを言ってしまった。
秋葉令
自分がASDだからというのもあるんですけど、人間の生活って自分の部屋と虚構コンテンツと散歩ぐらいで最低限は解決する感じがあります。
高島鈴
自分はまず「身軽な人」にものすごい憧れがあります。
ワニウエイブ
ここじゃないどこか、がどこなのかっていうのが「行きたい場所の話」なんですよね。だからちょっと聞きたかった。
僕は青年期を主にハリウッド映画をみて過ごしてきたので、やっぱりその影響を回収しないことにはどっかに行ったことにならない感じがする。
高島鈴
なんか、聞きたいんですけど、学校の帰りに普通に仲良い子に「これから海行こうよ」って突然言われたとして、行けます?
早川
行けたい!(行けるではない)
ワニウエイブ
行きます。通学路で言われたい。
早川
俺そもそも埼玉県で生まれ育ったから「海」が身近じゃなくて、なんかスゲー遠くに連れて行かれそうだなって思っちゃう。
秋葉令
フィクションとして言われたいですけど、実際行ったらただの海でモヤッとするとは思う。
高島鈴
あーなるほど、埼玉だと確かに遠い感じしますね。
私は神奈川だったので江ノ島が近かったんですけど、この質問にどうしても「行こう」って言えないんですよ。実際言われたこともあるけど、行く前から「何時に帰れるの?」「どう帰るの?」とか帰りのことを気にしてしまって全然行けない。
秋葉令
沖縄在住なのでよく思うんですが、海って想像のなかで行くものであって、実際に行くとやることなくて持て余す気がします。
高島鈴
あー、沖縄だとまた意味が変わってくる感じはありますね。神奈川だから通用する話かもしれない(笑)。
早川
江ノ島!! 羨ましい。
高島鈴
自分はこの「今から海行こう」にYESと言えるか言えないかが「身軽さ」の境目だなと思っており、結構いろんな人に聞いています。
ワニウエイブ
ぼく、中学三年生の時に、両親がどえらい喧嘩してたときがあって。そのとき、部屋で布団にくるまって「両親が離婚したらどうなるんだろう」と考えてたんですけど。
「じゃあいっそアメリカに留学行きたいとか言ったら通るんじゃないか?」とか妄想でなんとかしてて。そのときなんだかんだそんなことにはならなかったんですけど、「あのときアメリカに行かなかったオレ」なんですよね そこからずっと。
でもその想像をしてたときって、不安なんだけど、どっかでワクワクしてもいて。
高島鈴
あー、なんか自分にとってエポックメイキング的な経験だったんですね。
ワニウエイブ
だからできる限り「無為」にドライブしていきていこうという、人生の指針というか。
秋葉令
ここではないどこかの”ここ”の比重がおもい感じですね ここから脱出したい。
ワニウエイブ
その後の考え方の基礎になった、まさにエポックメイキングな体験だった。いまだにあのときのメンタリティで動いてる感覚がある。
高島鈴
「あのとき●●しなかった自分」っていう自意識、結構怖いですよね。それがいい方向に行くことも悪い方向にあることも、両方あるのでしょうが。
「死ぬ前に行きたい場所」的な本がよくあるのはそういう「後悔」を作りたくないという人たちの欲望のあらわれなんでしょうね。当たり前かもしれないですけど。
ワニウエイブ
後悔自体は呪いになっちゃうときもあるけど、原動力にもなりえますからね。後悔ゼロの人生ってないわけだし。
高島鈴
それはそう。後悔のない人生はない。
ワニウエイブ
動くことが「良い」、みたいに単純化したいわけじゃないんですけど、知らんところに行ったりやったりしてわけわからん目にあうということなしでは人生って細くなっていくだけでは?という感覚がある。
高島鈴
さっきも言ったんですけど、私は特に行きたい場所って思いつかないんですが、「身軽な人」になりたい願望はあるので、それは同意します。
秋葉令
虚構の話なんですけど、『海辺のエトランゼ』ってBL漫画があって、そこの沖縄がすごく綺麗であそこに行きたいです。あんな沖縄はたぶんどこにもないんですけど。
ワニウエイブ
沖縄もいいですよね、遠いというところがいい。
高島鈴
『エトランゼ』の沖縄はきれいですよね。私は桐野夏生の『メタボラ』の沖縄がめちゃくちゃショッキングだったんですけど、『エトランゼ』のイマジナリー沖縄はとても明るい。
秋葉令
というか、虚構の沖縄ですね。みんなが想像している離島の沖縄に行きたい。
高島鈴
観光ってなかなか無責任な行為でもありますもんね。現実の土地に向き合うことではないだろう、ということは意識しておかねばならないですね。
ワニウエイブ
そう、大学のゼミでそれを先生に指摘されたことがありましたね。
なんで自分の経済水準より貧乏(乱暴な言い方ですが)なところに「観光」に行くのはあんまり好まなくて、それもニューヨークに繋がっています。笑
秋葉令
現実の猥雑さと生っぽさを脱臭した世界、郷愁のフレームのなかで思い出されるしがらみから解き放たれた理想のエモい世界、その暴力って絶対あるんですけど、やっぱり『エトランゼ』の世界は暴力的に美しいので、あそこに行ってみたい。
高島鈴
すげー根本的なんですけど、自分は観光に対してどこかに「それを見てどうするの?」という気持ちがある。
ワニウエイブ
根本だ。
高島鈴
見たら見たで楽しいし、旅行が楽しいこといくらでもあるんですけど、特に見たくないとも思っているし、あと好き嫌いが死ぬほど多いので食の楽しみが全くないです。
いや、いくらでもはないな。そもそも旅行の経験が修学旅行とゼミ旅行ぐらいしかない。
あーでも、初夏の時期、ほんとに鬱の第一波でワーーとなっていたときは、ずっとバナナワニ園に行きたいと思ってました。
ワニウエイブ
なぜバナナワニ園……?
高島鈴
バナナとワニしか俺を救うものはない、みたいな気持ちになっていた時期があった。
完全にこれは「ここじゃないどこか」ですね。バナナもワニも周りにないから……。
秋葉令
自分は散歩以上の移動って現実でほとんどしないんですけど、ゲームの世界の移動は好きです。『DEATH STRANDING』とか。
ワニウエイブ
そうそう、ビデオゲームやるのも根本的に、ここじゃないどこか性を求めてるところありますね。
秋葉令
ゲーム内の移動って物理世界の移動より絶対楽しいと思うんですよ。どうしてなんですかね。色々なところに報酬があったり、達成目標があったりするからだと思うんですけど。
高島鈴
荷物の重みがないから?
秋葉令
それもあります。『デススト』のいいのは人間がいないところですね。純粋に仕事だけがある。最高。
早川
脚が疲れない。
高島鈴
元気なときだと街ですれ違う人が何を言っているか聞くだけでも楽しいですけど、体調悪いと街はうるさすぎてしんどいし、体力も持たないですね。
ワニウエイブ
まあマジ観光地を歩いて回るのとかどえらい疲れますからね……。美術館とかでもうんざりしてるからな毎回……。
高島鈴
今日は電車に乗ったんですが、人が視界にいるのがもうダメで、イヤホンして寝てました。
そう、観光地もどえらいつかれる。
高島鈴
あと誰と行くかにもよりますね。観光に対してアグレッシブな意欲を持っている人と一緒に行くとマジで疲れる。
ワニウエイブ
観光に対してアグレッシブな意欲を持っている人しか他人を旅行に誘わないとおもうのでなんか構造的な問題がありますね。
高島鈴
幼少期に祖父母に金沢連れていかれたことがあったんですが、私はなまものが全部食えないので、私の食べられるもの縛りによって寿司屋じゃなくてスパゲッティ屋に入ることになり、すごい「寿司屋がよかったのに」とか言われたのが、今も印象に残っています。
ワニウエイブ
ヒエ~トラウマだ。
高島鈴
なんか土地のものじゃない食べ物食っても全然いい人、「こことここ絶対回る」的な勢いがない人じゃないと、申し訳なくて全然無理だなと思うんですけど、そういう「この土地を遊び尽くす」的マインドが強い人ほど計画もがっつり練ってくれてありがたかったりするのがね、おっしゃるとおり矛盾してますね。
秋葉令
ひとりで行くと目的がなくて純粋にコストが痛いし、複数で行くと人間関係のしがらみが発生するじゃないですか。ひとりで行って適度に目的があるのがいいと思うんですよ。スパイになって出張して旅行しながらついでに世界を救いたい。
『デススト』は移動すべてにアメリカを救う意味がありちゃんと褒められるので最高です。
高島鈴
バランス難しいですね、そこ。やっぱ目的ないと踏ん切りつかないもんな。
ワニウエイブ
「見る」ことは僕の中では結構、目的にできるなと思ってるんですよね。自分の中ではすごい重要。見たり触ったりできるのってこれで最後なので、肉体が存在するうちにできるかぎりやっておきたいと思っている。
秋葉令
仕事の過程で移動できると楽しいと思うんです。
高島鈴
教授の手伝いで弾丸で岩手行った時とかは結構楽しかったのを思い出しました。
すごく複雑なんだけど、めちゃくちゃおっくうでも普段やらないことに対するワクワクというものは確かにものすごく感じているんですよね。びびりなだけで……。
秋葉令
目の前にある箱でたいていの作業が完結しちゃうのがどうかと思います。「出張」がないと本当に部屋からでなくなる。
ワニウエイブ
ちょっと一人目であまりに話拡散したというのがある、もっと一人一人聞きたい!! いや、「沖縄」と「バナナワニ園」でもいいんですけど……。
早川くんどっか行きたいところある?
早川
これ、たぶん「重い話」に分類されちゃうかもしれないし、強烈な誤解を招く可能性高いんすけど、女子トイレに行きたいっていうのをずっと考えてたんですよね。当然なにかの下心ではなくて。
ちょうど最近『ブックスマート』をU-NEXTか何かで観て、ああいう体験っていうのを俺は送れないし「あったな~ああいうの」とも思えないのがなんかスゲー寂しくて。
もっとソフトに言うと「女子会に行きたい」とも置き換えられるんだけど、場所性がちょっと薄れる。
秋葉令
トイレはトイレですよ。トイレが並んでいるだけ。
ワニウエイブ
たぶんそれも「越境」なんだろうな、ちょっとむずかしいけど。
高島鈴
それは、なんでしょう、ブックスマート見てないからよくわかんないんですけど、女性文化の中に入りたかった、的なことなんですかね。
早川
ですね。社交場というか、井戸端的な機能を見てます。井戸端会議的な機能が本当にどこまであるのかってのも知らないんですけど……。
ワニウエイブ
『夕闇通り探検隊』ではトイレってウワサ話の中心地だったな。
秋葉令
会話なんてどこでもできるししているんじゃないですか。別にトイレ入らなくても。
高島鈴
人にもよるとは思いますけど、全然女子トイレでなんか話す、みたいな経験ないっすね……。
ワニウエイブ
まあでもそれ、入ったことないとわかんないですからね、猫と毒ガス入った箱だ。
高島鈴
私もずっとホモソーシャルに憧れつつ憎悪を燃やしていたホモソーシャルゾンビなので、ある種のコミュニティを理想化して執着しちゃう気持ちは完全に「ここじゃないどこか」願望として理解できてしまう。
早川
「特定の場所ではできない会話」ってありますよ。
ワニウエイブ
公共では行われない話が女子トイレ内では行われているのでは?という。どうなんだろう、あるのかな、あるんだろうか……。
早川
そういう理想論的なことかもしんないっすね。マジで知らないし、かといって別にキラキラした何かがあるとまで思ってないんだけど。
高島鈴
というか、そうですね、私の「ここじゃないどこか」ってやっぱホモソーシャルですね。絶対中入っても不愉快なだけなのはわかってるけど気にならざるを得ない場所として。
ワニウエイブ
まさに映画とか小説とか、そういう機能がありますよね。知らんコミュニティの中に(幻想ですが)入り込むという。「ホモソーシャル」そのものか……!
高島鈴
早川さんは、ちょっと踏み込むかもしれませんが、男性文化の中の会話にはあんまりついていけなかったほうですか?
男性文化っていうのも曖昧かもしれないですが、まあホモソーシャル的な土壌のある文化ってことですね。
早川
結構分からんこと多かったすね。10代のころは別に拒絶せず、ただ「オレには分からんな」としか思ってなかったけど、今考えると細々としたズレがあったような気がしています。オトコの会話みたいなやつ。それもたぶんいろいろあるんだろうけど。
高島鈴
そういう違和があるのに入れる会話がそういう文化圏しかない、みたいな状況だと、きっとしんどいだろうなとは思います。
私は女子校出身なので、逆にあまり「女性文化圏」的な分離はなかったかもしれない。あの時私は人間でしかなかったという感覚が、ある程度はあります。
秋葉令
でも、女子トイレにはトイレ並んでいるだけじゃないですか。それ自体に神秘はどこにもない。
高島鈴
それはほんとにそうですね。そこで何か特別な会話をした記憶もない。
一番弾けた会話が出てくるのは、ほとんどの学生がそうであるように、修学旅行の夜でした。これも場所の話になりますね。
早川
便器自体に神秘は感じてないんで、極論言えば「男が入れない場所」でもいいですね。
ワニウエイブ
神秘は実際にあるものというよりは、外にあって案ずるものでしょう。
高島鈴
うん、早川さんがおっしゃってるのは文化圏の越境の話なんだろうとは思います。修学旅行の夜にイケてるグループの子たちがananの付録のエッチなDVD持ち込んで再生して騒いで怒られる、みたいなやつはあった。
秋葉令
でも、「男が入れない場所」一般にも別に神秘はないと思うんですよ。人間がいるだけじゃないですか。
早川
「男性が入れない文化圏」っていうのは俺にとって本当に神秘的です。行きたいけど、行くと自分がそれを破壊するきっかけになる可能性が高いから行けない。
ワニウエイブ
人間がいると、文化がありますよ。
高島鈴
ウーン、神秘という表現がわりと女性ジェンダーに対して暴力的に働くことがあるので、神秘というより、未知と言い換えたほうが適切かもしれないですね、そこは。
ワニウエイブ
未知とか、不可知ですね。
早川
「神秘」→「未知」ですね。それがしっくり来ます。
高島鈴
私もホモソーシャルの内部のことは全くわからないし、全くわからないからこそなぜかホモソーシャルに関心を寄せてしまう。
秋葉令
トイレから出てから話せばいいじゃないですか。
ワニウエイブ
いや、トイレから出てから話されることはトイレの内部とは違うのでは?というのが「未知」なんじゃないですか?
高島鈴
こういう文化圏の「壁」が大きく感じられている状況自体が、非常にきついんだと思います。
ワニウエイブ
僕は結構ガチガチのホモソーシャルの内部だったとおもいます。中高の人間関係とか。大学で「え、こんなにボディータッチとかアリだったの?」というぐらい、異性と接触なかったな。
高島鈴
文化圏における越境の阻害は、特に社会進出を阻まれている女性やクィアにおいて顕著ですけど、もちろんホモソーシャルになじめないシス男性にとってもつらさがないわけではない。ただ両論併記にはできない部分ですね。
ワニウエイブ
「憧れる」というのはあるかもしれないですね。
高島鈴
私はかなり女子校においてミーム化された「女子校」像に馴染めなかった経験があるので、そういう細かい文化圏における違和と越境の不可能性(順応するしかなくなる)状況は、本当にいっぱい生じているように思います。
ワニウエイブ
女子校ってまさに男性ジェンダーにとっての未知だから、幻想の舞台にされがちですね。
高島鈴
もちろんジェンダーの問題は大枠として、その下に小さな、でも見過ごせない違和がある、ということですが。
そうですね、女子校内部でも女子校あるあるがすでにミーム化されているので、自分もギャグにしてしまうことがあるのですが、でもそれをやっていたのは必ずしも自分じゃないし、女子校あるあるを体現していた人たちの輪に入れなかった自分のことを捨象してしまっている行いなんですよね、それは……。
ワニウエイブ
規範というかあるあるを自己模倣していくコミュニティのキツさみたいなのは、まさにホモソーシャル的とも言える気がする。
高島鈴
でも女子校出身であることは事実だし、目の前でそれが行われていたのは事実だから、自分ごととして話すことができてしまう。これはそれはそれで危うい。
ある意味女子校で明るく球技大会に参加していた子たち、文化祭で輝いていた子たちの文化圏も、私にとっては「ここじゃないどこか」なんです。
ワニウエイブ
高校のときはまさにそういうのがテーマだったなあ、なんか自分はどこにも所属できないという感覚が常にあった。今も続いている。
高島鈴
自分はめちゃくちゃ学内で微妙な位置にいたので、オタクの子たちが集まってゲームする輪にも入れなかったし、ananのDVDで盛り上がる輪の中にもいなかったですね。
そう言うこと考え始めるときりがなくて、この世にはいろいろな人にとって「ここじゃないどこか」として理想化された場所が、あらゆる形で生じている。
ただ、そういう「理想郷」的な他者化の対象として、女性ジェンダー/クィアの文化圏がいろいろなものを背負わされてきた、というのは歴史的に忘れちゃいけないところではあります。
ワニウエイブ
クトゥルフ神話で邪神を崇めてるコミュニティみたいなの、大抵黒人とかマイノリティでめっちゃ差別的なんだけど、そこにはラブクラフトの「憧れ」もあったのではないか、とするクトゥルフ神話全集のあとがきを読んだなこないだ。
秋葉令
観光って、他者や別コミュニティに自分と違う特別ななにかがあるという一種の幻想やオリエンタリズムを補強する側面があるから、最初からフィクションでいいじゃないかと思うんですよね。
小説や漫画を読んだりゲームをしたりすることのほうが本当の旅行で、物理世界の旅行はその模倣でしかないような感覚がある。
高島鈴
まあでもフィクションもフィクションで、現実との連続性からは離れられないですし、幻想やオリエンタリズムの補強にならないとは限らないですよ。
秋葉令
そうですね。フィクションも暴です。
ワニウエイブ
ぼくは全く反対で、実際に行くことでどうしても幻想化できないものが明らかになると思ってます。何が幻想だったのか、もある程度わかる。
早川
ていうか、「わかりたい」が目的ですらあるな。自分は。
ワニウエイブ
「どこまでが幻想なのか」がわかりたい。
高島鈴
行ってみてわかること、というのは実際あるのだろうと思います。土地の形とか、実際に歩いてみないとわからないことはたくさんあるし、私は自分が外に出ることについて怠惰であるぶん、足で歩いてものを考えてきた人にはかなりリスペクトがあります。
この間、山代巴の『民話を生む人々』という本を読んだのですが、山代巴という人は1950年代の広島の農村を歩き回って、女性たちを政治運動に巻き込むための対話をしに行くんですよね。
この本が非常に刺激的で、フィールドワーカーに憧れると言うより、自分もフィールドワーカーになる必要がある、とものすごく思いました。
山代巴はあまり婦人会を信用してないんですけど、女性たちに会うために地元の婦人会を通じて直接農村で働く女性に話を聞きに行く。で、1950年代なので、原水爆反対運動が盛り上がっているんですけど、広島なのに「毛利家の奥様が『あれは政治利用されるからよくない』と言ったから」みたいな理由で村ぐるみで原水爆反対の署名に参加しない人たちとかに会って困ったりするんです。
そういう、いろんな場所に行って、いろんな人に会って、毎回ちゃんと「困る」というのが、きっと大事なんだろうなと思いますし、人との対面性から逃げてきた身にとって、すごく大きな課題であると思っています。
ワニウエイブ
対面性……。なるほど。おおきく「刺激」とされてるものの中身かもしれませんね。
おもうに、どんなに身も蓋もない現実を目の当たりにしたところでそれを幻想としてしか認知できない、というのが人間の認知というものだと思います(ちょっと前回の「言葉」の話にも通じますが)。世界がアナログで高彩度であっても、ぼくの目はデジタルカメラでしかない。
高島鈴
自分の認知にどういうフィルターがかかっているのかをなるべく自覚するのはすごく大事ですね。
ワニウエイブ
なので付き合わせて、外側で作ってくことでしか現実と似たものの形を再現することはできないというか……。それが会話とかってものだとおもいます。もちろん会話した結果フィルターが強化されることもあるんですが。
だから、幻想はそうくだらないものではないというか、各々がみた幻想を組み合わせることでしかない、というか……。難しいな、だからいろんなとこ行ったほうがいいんだろうな、と自分は思ってます。
高島鈴
対面性って(少なくとも私にとっては)すげ〜〜重いので、繋がりは増えれば増えるほど苦しいかもしれないのですが、きちんと向き合って初めて少し垣間見える他者の現実というのものは、必ずあるはずです。
それができてない自分が言うのも本当に恥ずかしい話なんですけど。
秋葉令
実際に会って話してなにかがわかる、という発想に自分はわりと身構えます。ASDで対人コミュニケーションに難があるから。言語だけのほうがいいです。ここが居酒屋だったら自分は隅でカルーアミルク飲んでるだけだと思います。
高島鈴
そうですね、そこも捨象しちゃいけないところですね。コミュニケーションの型は、やっぱり人によって本当に違うから。
たぶん一緒に無言で粘土をこねた方があなたのことを理解できます、という人や、あなたのスマホのカメラロールを見た方があなたがどんな人か理解しやすいです、と思う人はいる。
ワニウエイブ
どちらにも削れる情報があり、どちらにも足される情報があると思います。人によってまたバランスはちがうだろうけど。
人間も場所も多面体であって、見る方法によってまじで全然ちがう。そしてそれ全部を複合した像みたいなものを個人で作っていくということにはリソースの問題から無理がある。
秋葉令
ASDの認知特性って本当に人それぞれなので一概にはいえないわけですが、自分はゲームや漫画内の散歩や移動のほうが、実際の移動よりもリアルに感じます。虚構には再現性があって確かめやすいけれど、物理世界の現象はものすごく曖昧ですぐ消えていくから。
高島鈴
ただ自分はわりと、土地・地域の環境の問題が人間に及ぼす影響のことを考えないといけないな、という意識が(できていないにせよ)あるので、フィールドワークに対してはやはり避けがたい関門であると感じています。
もちろんそれが、特定の相手にとっての「現実」の一部であるかどうかは別問題なのですが。
秋葉令
『007』映画の画になる観光地のほうがリアルで、実際にそこに旅行に行ったら曖昧でだらだらとした退屈なフィクションに感じると思う。勝手な話ですが。
高島鈴
ほんとはね、あんまりどこにも行きたくないし、ネットで検索して終われたらいいんですけど、誰かに何かを伝えるとき、自分の目で見てどうであったか、自分の足で歩いてどうであったか、というのを求められることが、私は少なくなかったです。
それはきっと私が現実を題材にしていろいろ論文やエッセイを書いているからですね。
だから「どこかへ行く」ことができるようになりたい、というのが、わりとここ数年自分の精神的な課題でありました。今も課題です。
ワニウエイブ
インターネットという100年前には存在しなくて、100年後にあるかどうかもわからないものの中で現実を考えてんだよな……。いま我々にとっての現実というのがなんなのかということも、人によってめっちゃ違う。
高島鈴
ほんとに現実は人によって違いますね。世界は人の数だけある。……いや人の数だけって言うとノンヒューマンが捨象されてしまうな。認知の数だけある。
ワニウエイブ
でもだからこそ自分の中の幻想と向き合うことは重要だし、幻想をふくらませることも(有害でない範囲なら)意味があると思っています。
意味がある、ってイヤだな。意味なんかなくてもやっていい。「やっていい」と思ってます。幻想を抱くために必要な自覚とは何かってのも同時に考えないといけないですけど。
高島鈴
個人的な想像の世界というのは常に守られるべきですね。
ワニウエイブ
相手のことを勝手に想像してどうこう思うって暴力的だけど、でもその暴力がゼロになると、それはそれで社会としては暴力的になるというのもある(誰も他人に想像力を働かせないということですから)。
行けない場所、話せない相手について、ある程度は勝手に考えるしかない。でも一歩踏み込むのが必要なタイミングというのもやって来うると思っています。
高島鈴
また「やっていくしかない」的なまとめになりそうですけど、実際そうなんだよな〜〜という感じですね。
ワニウエイブ
「現実」の話になってしまったな。まあそうなんですが。
秋葉令
ずっと虚構の話ばかりしているんですけど、自分は小説の中に架空の町を作り上げたいという構想があります。一種の大掛かりな箱庭療法みたいなものなんですけど、『ツイン・ピークス』みたいな、いろいろな事件が起こる町を、想像のなかで少しずつ錬成したい。
高島鈴
それはちょっとわかる。架空の街なら何が起きても自由ですもんね。
秋葉令
エドワード・D・ホックというミステリ作家がおりまして、ノースモントという架空の街でサム・ホーソーン医師が不可能犯罪にばっかり遭遇する短編シリーズがあるんですが、ああいう感じのものを作りたいと思っています。
高島鈴
できたらぜひ、ALTSLUMに載せてください!
ワニウエイブ
架空の街、架空の歴史を用いた連作というのは小説ではけっこう見られますね。
早川
ああ、マコンド行きたいっすね。行きたい場所になっちゃった。
ワニウエイブ
ヨクナパトーファ郡から杜王町まで。杜王町は行きたいな。
秋葉令
ジョジョ4部好きですね。あれ描くの絶対に楽しいと思うんですよね。
ワニウエイブ
長くなってきたので、ぼちぼち締めましょうか。このテーマ結構無限性があった。
高島鈴
広がりましたね。参加してくださったみなさん、ありがとうございました。
ワニウエイブ
今日はトピック2つ要るかな? とか思ってたんですが杞憂でした。
高島鈴
ではまた#06でお会いしましょうッ……!