※大逆転裁判についてはかなりネタバレしていますのでご注意ください
●大逆転裁判1(ネタバレあり)
そもそも「主人公はなるほどくん(現代の)じゃないのかよ、というシリーズファンの悪いゴネみたいなものがあってこれまで大逆転裁判には手を出してこなかったのだけれど、始めてしまえばそんなの些細な話で、すぐにずるずる惹き込まれていった。
最初に目についたのはモーションの美しさ。目を泳がせながら手を挙げるなるほどくん、あるいは苛立って机に足を投げ出す検事、焦って走り出す証人(なんで?)に至るまで、細かい動作に目を奪われる。もともと海外のゲーム評で逆転裁判の魅力はモーションの変化だと解説されている動画を見たけれど、3Dになってその魅力に磨きがかかっていたと思う(その動画では文字の表示スピードもゲームの状況を伝える重要な媒介として紹介していたはずだが、私は残念ながら文字がちんたら出てくるのはちょっと我慢できない性分なので、そこは設定をいじってしまった)。効果音もやけに気持ちよく感じたのは私だけではないはずである(特になるほどくんが自信のないときの机を叩く音、グレグソン刑事がフィッシュアンドチップスをかじるときの音、スサトさんが手帳をめくる音)。
これらのモーションがキャラクターの魅力を増幅させていることは言うまでもない。物語の舞台が「大日本帝国」であったことも手伝って、当初の私はスサトさんに対して「〈大和撫子〉表象のステレオタイプっぽくて好きじゃない」と感じていたが、あまりにも仕草がかわいいのでファースト・インプレッションは刷新された。手帳をめくったり拳を突き上げたりするのがいちいち素敵なのだ。
スサトさんについて、従属的な立場にいる、という印象は最後まで残念ながら大きく変わりはしなかったものの、最終話で明かされた行動の真相は、スサトさんの主体性と法への向き合い方を見せつけるよい場面であったと思う。
そして何よりモーションとキャラの魅力でいうなら、ホームズはたまらない。プロフィールによれば34歳とそれなりに歳を重ねているようだが、仕草のひとつひとつが大仰で軽薄、とにかくうさんくさい。特に腕をぐるぐると怪しく回す踊りじみた謎のファイティング・ポーズ。こいつ本当に大人か? こんなの好きになっちゃうよな。
シャーロック・ホームズという死ぬほど引用されてきたキャラクターが「逆裁」的味付けのもとで登場することに、私は少なからず高揚した。だが同時にワトソン役が幼い少女であるアイリス・ワトソン(ホームズの相棒=ジョン・ワトソンの娘という設定)であることにはちょっとした緊張も覚える。大人が子どもに飯を作らせるな。極力お前が作れ。
そして新しいシステム、「推理」と「陪審員論告」はいずれも非常に面白かった。「推理」システムとは、自称「名探偵」であるホームズのめちゃくちゃだがところどころ的を射た推理の間違いを正し、正解へと導くもの。「陪審員論告」は陪審員同士の意見に矛盾を見いだし、陪審員たちの意見を変更させて不利な状況を〈ひっくり返す〉ものだ。
それぞれ決して高くない難易度(問題のある部分はどこなのか、わりとすぐにわかるようになっている)に反比例するように謎解きの満足度が高かったのは、いちいちキャラクターの反応を引き出すのが愉快であったからにほかならない。これもまたモーションの魅力と分かち難く結びついている。
さて肝心のシナリオである。舞台は19世紀の東京とロンドン、「大日本帝国」は他国と結んだ不平等条約の改正にもがいている頃合い。この舞台設定に関して、何も思わぬ私ではない。やはり作中繰り返し帝国の精神性が叫ばれ(「日本刀は日本人の魂」!)、欧米人から日本人への人種差別が「日本人」であるキャラクターの奮起に利用されていくセリフ回しには多少辟易する。時代設定上しかたがないとはわかっているものの。
ただしさすがの巧舟脚本、キッチリしているのはナショナリズムに傾きかけるときちんと反対側の天秤に錘が入り、話が逸らされる点である。たとえば第4話は留学中の夏目漱石が容疑者となる衝撃的なシナリオだが(これもホームズ同様、ちょっとテンションが上がってしまうしかけだ)、弁護士として面会に来たなるほどくんに対して、夏目漱石は謎のポージングをつけつつ「祖国万歳」と叫ぶ。うおお……と思いつつ話を進めると、事件はシャーロック・ホームズの協力によって解決に導かれてゆき、最後は「祖国万歳」が「人類万歳」へ変化するのだ。
そして物語については、「トモダチ」と「信じる」ことという二つの柱によって展開されていく、『逆転裁判』シリーズの原点を体現する展開になっていたように思う。主人公・成歩堂龍ノ介は、二度も殺人犯扱いを受けて自己弁護を展開せざるを得なくなるが、その度に助けてくれるのはかけがえのない友人であり、友人との間で交わされた約束だった。なるほどくんの経験と約束は彼を弁護士の道へ導いた。時として「信じる」行為はなるほどくん自身の良心を裏切るが、やがてなるほどくんは自分が友人から信を得たように、被告人を信じ抜く力を弁護士の武器として身につけてゆく。登場人物や時代や舞台が変わってもやっぱりこれは「逆転裁判」なのである。
シナリオ全体に関して言えば、シリーズ一作目だけで完結するつもりがないことが明白な作りになっていて、「成歩堂龍ノ介ノ覚悟」のみだと不完全燃焼な印象である。これを書いている段階で私はまだ2をプレイしていないのだけれど、出てきた瞬間絶対に最終話の犯人だろうと思っていた人物は出廷すらしなかったし、敵方となるバンジークス検事の過去は仄めかされるばかりで明かされず、さらに何かが起きているらしい日本とイギリスの外交問題も「闇」の存在をちらつかせられるだけで終わった……他にも回収されていない伏線は複数ある。個人的にはソフト一本で伏線は完結していてほしいと思わないではないが、ともかく「2がある」のがうれしいことに変わりはないので、この先の展開が非常に楽しみだ。
●大逆転裁判2(ネタバレあり)
『大逆転裁判2』は『大逆転裁判1』といわば上下編を成す作品で、セットでやらないと全ての伏線が回収されない仕組みになっている。そこはちょっと(前作の感想にも書いた通り)不親切かなと思ったが、シナリオ全体は非常に面白かった。
まず第一話、前回「従属的な立場にいる」との印象があったスサトさんが、女人禁制の法廷に男装で現れ、颯爽と弁護を行う。弁護相手である親友・ハオリちゃんがスサトにときめくシーンもなんだかかわいかった。この話の犯人は結局マメモミという新聞記者なのだけど、「豆籾主義(マメモミズム)」という謎の造語を連呼するのがかなり好きでめちゃくちゃスクリーンショットを撮りました。
第二話は、最後までプレイすると「2」に入れる必要があったのだなということはわかるのだが、時系列でいうと「1」の途中に当たるので、プレイ中は「なんでここにこの話が入るんだろう」という疑問を感じていた。この回もキャラクターのモーションが大変魅力的で、特に犯人の一人であるペテンシーのアクションはキャラクターデザインも相まって不快な羽虫っぽく、すばらしかった。夏目漱石とペテンシーがシェイクスピア強さ議論スレを展開しているのも素直に笑った場面である。
第三話、前々から気になっていたわかりやすすぎるキャラクターの命名がさらに加速、「エライダ・メニンゲン」ってマジでなんなんだよ(これが逆転裁判イズム)。「ドビンボー博士」も真っ直ぐすぎてもはやまぶしい(?)。ドビンボー博士が「僕の論文が小さい雑誌に載りましてね」と言いながら取り出した論文雑誌が物理的に小さかったのはマジで笑った。
キャラクターデザインの妙が光る回で、ここで初登場するイーノック・ドレッバー、コートニー・シス、マダム・ローザイク、みないずれも目を惹く造形になっている。特にドレッバーはモーションもよかった。そして衝撃的な亜双義一真の再登場……。
第四話と第五話は連動して同じ事件を追いかける展開。ここで一気に、「1」では明かされなかった日本と英国の外交をめぐる闇、バンジークス検事と《死神》の噂の真相、ホームズの言動の謎などが一気に明かされていく。何度もどんでん返しがあり、また謎の難易度も気持ちのいい難しさだった。
ただしシナリオに関してはちょっと無理が多かったのではないだろうか。もともと逆転裁判シリーズは非現実的な要素(憑依とか)を現実的に組み込んだ謎解きのシナリオが特徴的で、その流れを汲んでいると言えばそうなのかもしれないが、ラストにホームズがホログラムで法廷に現れて「この法廷の様子はホログラムで中継されている」と宣言するのはあまりにも唐突な超科学で、良くも悪くも度肝を抜かれた。どうせホログラムを出すのだったら、それまでの話でホログラムに関する伏線を出しておいてもよかったのではないだろうか? 結局ホームズによる中継が〈女王陛下〉による犯人の権力の剥奪に繋がり、裁判は勝訴に終わるのだけれど、最終的なところで女王という超越的な権力が解決してしまうのは……法廷ものとしていいんだろうか?
それはそれとして、物語を追いかけていれば胸がキューっとなるようなカタルシスがふんだんに用意されていたのも確かである。再登場した亜双義が検事席についてなるほどくんに対峙する展開、ずっと穏便なキャラクターだと思い込んでいたグレグソン警部の裏の顔……。そして第五話の主人公とは違うキャラクターを動かして操作をするシーン(御琴羽教授となってホームズとともに推理劇場を完成させる!)は「逆転裁判3」のミツルギを操る探偵パートを彷彿とさせ、とてもワクワクした。
以上が「大逆転裁判」の感想である。昨年の夏あたりからかなり長い時間を費やしてプレイしていたことになる。それだけシナリオのボリュームも満点で、やりごたえがあった。願わくばまた巧舟脚本で「逆転裁判」の続編が見たい。
●十三機兵防衛圏(多少ネタバレ)
ず〜〜っと買って詰んでたのがバカでした、めちゃくちゃ面白かった。まず最初に巨大ロボで街を防衛する謎の戦闘に巻き込まれるのだけど(戦闘パートは「崩壊編」と呼ばれる)、そこに至るまでの物語を13人のプレイアブルキャラクター個別のストーリー(「追想編」)で語り、時空を跨いだ壮大な物語を段階的に浮上させる。この展開の作り方がめちゃくちゃうまい。個々のストーリーには分岐があって、何度もプレイしながら行動を変更して少しずつ謎を追いかけていく。これ飽きるかな?と思ったら全然飽きなかった……。とにかくプレイングが快適。追想編は適度に選択肢が少なくて、「進め方がわからなくて詰む」というのがほとんどない(万が一間違えても間違えたところからすぐにやり直しができる)。それはストレスがないまま物語は着実に味わえるということで、かんたんなんだけどやりごたえや面白味がなくならないのだ。
崩壊編も同様で、私はノーマルにしてプレイしたけれど、ゲームが苦手な人向けにカジュアルモードが用意されている。それでこの崩壊編で交わされる会話が……最初はよくわからない固有名詞も多いしキャラ同士の絡みもどういう意味があるのか把握しきれないのだが、追想編を進めるに従って各キャラクターのやりとり、特に他愛のないものが、どのような意味合いを持っていたかがどんどん重みをもって立ち上がってくる(追想編と崩壊編は相互に進めるよう進度をコントロールされるので、どこで何が開示されるかはある程度ゲームシステムに組み込まれている……これもうまい)。
正直プレイ中はずっと「この子たち世界の危機に際して恋愛しすぎでは? というか恋愛が原因で危機に陥ってない? やめたほうがいいのでは?」という気持ちが消えなかったていどにはストーリーがロマンス寄りなので、ロマンスが苦手な人は不満も残ると思う。製作者は少女漫画を意識して作品作りをしていたそうで、そう考えると大恋愛と宇宙の危機の惑星的接近にも背景があると納得はできるのだが。己の中の関係性が好きなオタクの部分は、ヘテロのロマンスが多いわりに満足していた気がする(これは会話劇が魅力的である点にも依拠する、私はいまだに網口というキャラの「HEY-Cおいしい? ビタミンCはお肌にいいよね」(注:HEY-Cは劇中に出てくるジュース)というどうでもいいセリフの語感が頭から離れない。そういううまさがある)。
好きなキャラクターは鷹宮由貴さんです。ゲームはフルボイスで、鷹宮は小清水亜美さんが演じていたのだけど、とにかく小清水さんの「不良が見せる情」の芝居がすばらしくて、鷹宮さんのセリフだけは飛ばさずに全部聞いた。
●ポケモンLEGENDS アルセウス
かなり期待してプレイして数日でエンディングまで到達したのだけれど、個人的にはあまり満足できないゲームだった。ここでは手短な批判にとどめておくけれど(精緻に批判するためにはアイヌ史をもっと勉強しないといけない/今はその時間がない)、めちゃくちゃ「入植」ゲームだったからだ。主人公は異世界転生的にヒスイ地方――まだ人とポケモンが共に暮らす術を持っていないという設定――に飛ばされて「ギンガ団」からポケモン調査員を任されるのだけれど、この舞台のモデルになっているのは明確に倭人の入植が進む近代のアイヌモシリだ。戦火を逃れてヒスイにやってきたというギンガ団に、それより前からヒスイに住んでいたコンゴウ団とシンジュ団(設定からしてアイヌを想起しないわけにいかない)というclanが協力的姿勢を見せてくれる。これだけでかなり入植を美化する危険な描写ではないかと感じた。ギンガ団にいる主人公を見てコンゴウ団もシンジュ団も関心してばかりいるのが不安でしかたない。倭人からアイヌへの暴力の歴史は……?
ゲームデザインの特徴として、ポケモンの他者性がかなり上がっていることが挙げられる。自由に走り回れる多彩な地形のフィールドには凶暴な野生ポケモンがうろうろしていて、人間本体を攻撃してくるのだ。ポケモンが野生のいのちであることを突きつけてくる演出である。これには意義があると思った。だがそれゆえにゲームタスクとして課されるポケモン図鑑埋めが、つらい。この他者性の上がったポケモンを攻撃して倒したり、大量に乱獲をして団員ランクを上げる必要があるからだ。主人公が入植者側であることも相まってめちゃくちゃ良心が痛む。これまでのポケモンでも似たようなことをしていたわけだから、ここに徹底して批評性を込めるならまだいいと思ったんだけど、いまいちその気配は読み取れない。やるなら徹底的にやってくれよと思う。
プレイして思ったのだけど、「どうぶつの森」しかり「マインクラフト」しかり、土地に対する自由度ってものすごく「入植」っぽい。「もともとあった/いたもの」に対して暴力を振るっている己をどこまで許容できるか、みたいなところで、程度の問題はあるにせよ、けっこう躓く。