CHAT! CHAT! CHAT! #10「ダサいって何?/Birth of the Cool 」

登場人物
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ワニウエイブ慈雨灰塚いずれ(プロフィールページ準備中)


2021/05/08収録

ワニウエイブ
本日はよろしくお願いします~。二度目の方もおられますが、長い時間があいちゃったので一応自己紹介からお願いしたいです!

慈雨
ツイッターを拠点に短歌を詠むインターネット歌人の慈雨です。よろしくお願いします。

灰塚いずれ
灰塚いずれです。ボーイズラブ系ファンフィクションをこよなく愛し、推しカプに命を捧げたら死んだ人です。よろしくお願いします!

ワニウエイブ
さて、今回の議題なんですが「ダサいとかダサくないとかって何?」ということで……。こちら、ALTSLUM Discord上で灰塚さんからご提案いただいたものをそのまま採用した形なのですが、まずはどのような疑問だったのか説明していただいてもよろしいでしょうか?

灰塚いずれ
かしこまりました。えっと、私はまだギリギリ20代なのですが、私が幼児だった四半世紀前に「タイルシール」なるものが子どもの間でとても流行ったんですね。

慈雨
タイルシール!!懐かしい。

灰塚いずれ
「タイルシール 平成」とかで画像検索していただくと出ると思います。

ワニウエイブ
まったく知らない文化だ!

灰塚いずれ
そして幼児だった私も、ある日とうとう流行りのアイテムを手に入れまして、意気揚々とシール手帳をたずさえて保育園に参戦したんですけど……そのころにはだいぶブームが下火になっていて、他の園児から「いずれちゃんそれダサいよ」と言われてしまったんです。

ワニウエイブ
なるほど。

灰塚いずれ
それが私と「ダサい」という概念の邂逅だったんですけれども、幼児としてはほとんど「ダサい」の意味を理解することができず、結局「なんだか唐突かつ理不尽に貶された」みたいな気持ちになってしまって。

慈雨
ダサいのはけなしてきた相手の方のはずなのに……。

ワニウエイブ
ダサいという概念はしばしば「流行」というものと関連しますね。

慈雨
でも一番かっこいいというものもない、流行り廃りだから。

ワニウエイブ
流行に乗れている、ということを「ダサくない」という基準にするなら、それに遅れるのは「ダサい」ということにはなると思います。その「基準にするなら」ってところが厄介なんですが……。

灰塚いずれ
その経験から「『ダサい』って、結局は言ったもん勝ちじゃない……?」みたいな気持ちが20年間ずっとくすぶっていて、あんまり「ダサい/カッコいい」って評価軸を信じられなくなりましたね。

ただ、私としてはもうちょっと上手にこの概念と付き合いたくて、他の方はどんなふうに考えていらっしゃるのか知りたくて、こちらのテーマを推薦させていただきました。

ワニウエイブ
慈雨さんは「ダサい、ダサくない」とどのように付き合っておられます?

慈雨
もはや、「ダサかっこいい」とか頭がこんがらがってきました。
かっこつけるのと格好いいのは違うと思っていて。
流行りに乗っても貶すために乗るのは違うかなと。
ツイッターでRTされて流れてきた内容が差別的なネタだったりするとそういうのはダサいなとがっかりします。(飯テロとか地雷とかetc…)

ワニウエイブ
倫理とダサいダサくないもしばしば一致する感覚ではありますね、同一かというとかなり怪しいとは思いますが。

慈雨
目に見える物質に関しては各自の価値観があるので、これはかっこよくてこれはダサいって分けるのは難しいことですね。

灰塚いずれ
そういえば、前回の「CHAT!CHAT!CHAT!」収録時、私が「ccc-audience」コーナーでつぶやいていたのは「人間は進歩的であればあるほどダサくなる、差別的なものはカッコよく見える、だからカッコいいものなんか信じられない……」みたいな怨嗟でした

ワニウエイブ
そうですね、「ダサい、ダサくない」は価値観の一種なので、価値観全般に対する一般的なこと(たとえば「人それぞれである」というような)は「ダサい、ダサくない」にも同様に当てはまるんじゃないかな。

この議題を聞いたときに「『ダサいダサくないは個人が決めるものなので定量化できない、論理化できない(自分で決めていい)』という当然の決着をしたくない」と思いまして……つまり「価値観全般の一般論に終始するとよくないよな」と考えています。価値観全般の中でも特に「ダサい、ダサくない」と呼ばれるものに特徴的にある性質みたいなもの、ってのが分離できると面白いと思います。

灰塚いずれ
お話の交通整理をありがとうございます。ちょっとみなさんにお聞きしてみたいんですけど、例えば「政治に関わるのはダサい」って考え方、あれはどのようにして人間の中で生成されるのだと思われますか?

慈雨
当事者でなく他人ごとだからでしょうね。恥ずかしながら自我が芽生えたのが23才くらいなので……。だからそんなに何を叫んでるんだろうと思っていた。実際そちら側にいたので他人事感はすごくありました。情けない。

ワニウエイブ
「ダサい、ダサくない」には特に論理的な説明が必要とされない、というのはぼく個人としても思います。なので、自分にとって不快なものを下げるときに論理的な説明をしたくない場合「ダサい」が用いられる傾向はある……ように感じます。あくまで体感的なものでしかないですが。

慈雨
確かに。人生相談とかもダサいと思ってしまうんですが。例のnoteの件です。実際不快ゆえに「ダサい」の一言に収めたくなる。その件について詳細に述べるのもだるいから、「ダサい」で片付ける自分はいます。

ワニウエイブ
僕は「ダサさ」とその対局にある「かっこよさ/クールさ」というものは「論理化できない」というのがキモだと思ってます。(論理化できない価値観でいえば「おいしさ」とかもそうですけどね)

灰塚いずれ
慈雨さんのおっしゃる通り、政治的な活動というのは「わたしは何者であるか」について真剣に思考することが求められますよね。そこで「真剣にやるのはダサい」というか、いわば「ネタにマジレスカコワルイ」「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」みたいな思考が立ち上がってくる、そのプロセスがすごく知りたいです。あの思考は私の敵なので……。

慈雨
これは不快と快に帰結してしまうんでしょうか。

ワニウエイブ
政治を忌避したいという気持ちと、それにダサいダサくないという語彙を用いること、そしてダサいことダサくないことそのもの、の3つは独立した別のことだと思ってます。でも「真剣さ」と「ダサさ」はかなり密接に関係してますよね。かっこいいことを「クール」と表現することもそうですけど。熱量が高いこと、思い入れが強いことは通常あまりかっこよくない。

灰塚いずれ
なるほど! そうやって切り分けると少しは想像しやすいかも……。

ワニウエイブ
カッコいいというのはカッコつけることですから、「熱量が高い状況でも平静に装うこと」を表現しがちで、実際、正しく用いればそういうが態度が必要なときは存在するように思います。真剣で思い入れているようなものは平静ではないのでかっこよくない……んだけどこっちのほうがかっこいいんだ!っていう「逆転」もよくおこりますね。価値が逆転するってのは価値観全般にあることですが。

慈雨
ワニウエイブさんの分解を前提としても、クールなのがかっこいいと思って政治に対して冷笑の態度になっている人は多く見かけますね。正しく用いてない人だ。

ワニウエイブ
かっこよさはただちに正しいことを意味しないですからね。それこそかっこいいことが理由で不良になる人間もいるので。もちろん個人個人そのリンクのしかたは違うんですけど、「正しさ」と「かっこよさ」は別の価値判断基準だと思います。

慈雨
政治を忌避したいという気持ちと、ダサいダサくないという語彙を用いること、そしてダサいことダサくないことそのもの、の3つは独立しているけど重なり合っていると考えてみてもいいのかもしれません。

ワニウエイブ
重ねあわせてる人もいますよね。逆に、政治参入しないでぼーっとしてるやつのことをダサいと表現する人もいるでしょう。たとえば食材だと、それの見た目がかっこいいこととおいしいことは別ですよね。でも、見た目がいいほうがおいしく感じる人はいるでしょう。そこで「見た目はおいしさの一部である」というのと「見た目とおいしさは関係ない」というのはどちらも真であり、偽である。グラデーションだとおもいます。

灰塚いずれ
そうですね、正しさとカッコよさは別の話ですけど、人によって重なり具合が違うんでしょうね。私なんかは「すごく正しいけどものすごく勇気がいる行動」をとった人を「カッコいい……!」って好きになってしまいがちです。

ワニウエイブ
そうですね……って、これけっこう価値観全般の普遍論だな! ぼくはその上で「かっこいい」とか「ダサい」という基準はすげえ重要だとおもってて、というかぼく個人という人間のわりと中心的な価値観だと思ってます。

慈雨
自分より弱い立場にいる人に対して一貫して謙虚な態度を取れる人はかっこいいなと思っています。強くて優しい。

ワニウエイブ
かっこよさって、要は言語化できないですから、都合よく運用できてしまうんですよね。それが、まあ抑圧に用いられやすい要因でしょうね。反面、自己規範としては有用に働くと思ってます。「カネになんねーけどやるぞ!」みたいなときは、だいたいかっこよさによって駆動してますね、ぼくの場合はですが。

慈雨
自分の中の基準としてはありますよね、どんな行動がかっこいいのか。ダサいのか。

灰塚いずれ
平たく言うと「俺の美学」みたいなものかしら?

ワニウエイブ
そうです。「美学」という言葉が出ましたが、まさにそれです。ぼくの大学時代(中退しました)のゼミ教授は「美学者」を名乗っておられて、彼からの影響をぼくは多分に受けています。

灰塚いずれ
「なにそれカッコいい~!」は他人様にかける言葉、「てめえ何やってんだよ、ダセえぞ」は自分にかける言葉、くらいに意識しておいた方が(ダサい/カッコいいの概念と)上手に付き合えるのかもしれない……ちょっと光が見えてきました。

ワニウエイブ
他人にダサいと言っちゃう問題ってのは、まあ他人にいきなり馬鹿とか言わないほうがいいのと同じですよね。かっこいい/ダサいを美学の基準とするなら、バカ/賢いは論理の価値基準です。善い/悪い、は倫理ですよね。「お前は悪いやつだ」っていうのも、初対面の人にはあんまりいわないほうがいいですね。どれにしろ、悪意を持って他人に向けると、まあ穏当じゃないことにはなりますね……。

おいしい/まずい、正しい/悪い、賢い/バカ、良い/悪い、はそれぞれ全然別の基準で、その中でどの基準を個人的に重視するかは個人個人ある、ということだと思います。これまた価値観全般の話だ!

慈雨
でも自分にダサいと言うと自責で辛くなってくるので全肯定してくれる高次元の存在が欲しいな〜(遠い目)。私は自分にも向けないようにしたいです悪意をなるべく……。

ワニウエイブ
あんまりやりすぎると健康でないことは確かですね。

灰塚いずれ
なるほど……私は脳内に町を作ったことがあるタイプの人間でして、私に「なにそれダッッサ」って言ってくるキャラも「大丈夫!!!いずれちゃんは今日もめちゃくちゃカワイイ!!!」って言ってくるキャラも腐るほどいるので、一人から投げかけられる「ダサい」の重みが相対的に少ないんだと思います。

慈雨
オーディエンスの方の宛先さんの、友人にそれは悪い行いだよと説明するとクリティカルヒットしてしまいそうなので言う「ダセーよ」はクッション言葉になるのかもしれません。

ワニウエイブ
ぼくがわりと「かっこいい/悪い」を中心的な価値観として採択してるのは、論理に対する抵抗という側面があります(ちょっとラジオでも話したんですが)。自分の中に論理的でない価値基準判断があるぞ、ということを置いておきたい。ダサい、かっこいいとは何かって話は難しいな!

まあでも結論出す必要ないですね。個人的には(さっきの自己規範の話にも通じますが)信仰のようなものだとおもってます。あと、快/不快がわりと隣接的な近しい価値基準であるってのはまちがいない……とは思うんですが、不快なことがかっこよくもなりがちなのでちょっとややこしいです!

灰塚いずれ
ふむふむ 私は「この行動はすごく正しい!(論理的な判断)」→「わーーーこの人カッコいいーーー(論理的な判断にもとづく派生の感情)」ってなっちゃいがちなので、「カッコいい/カッコ悪い」が論理的でない価値観というのはちょっと分からないんですけど……「考えるものではなく感じるもの」ってことでしょうか?

ワニウエイブ
たとえばインストゥルメンタルの音楽をきいて「かっこいい」と思うことがぼくにはあり、わりと多くの人にもあるっぽいんですけど、そこに論理的な判断って介在しようもないですから……。

灰塚いずれ
なるほど、ありがとうございます。

慈雨
結構いろんなものが独立してグラデを作っている話なので難しいですね。おもしろ。

ワニウエイブ
自分は音楽を作る人で、人生の最初期に衝撃を受けたものとしての音楽があるので、その「かっこよさ」が重要な価値基準になってしまいましたね。いや、もちろん生育環境とか、「脳科学的に人間が好きな音」みたいなので説明つけようとおもえば論理的に説明つくかもしれないんですけど、それやってあんま意味があると思えないんだよな。かっこいい、でよくないか?っていう。

慈雨
あー私も短歌詠む人間なので「かっこいい歌」は言葉だけでは言い尽くせません。歌人なのに。感情のが速くて出てくる言葉が遅くてこぼれ落ちてしまう。

ワニウエイブ
でその、カッコいいインスト曲聞いた時みたいな感覚ってのは、音楽以外にもあります。ALTSLUMもそういう、カッコよさみたいなものを基準に(僕がサイトのデザインをしているわけではないですが)作ろうとしています。

慈雨
ALTSLUMバンザイ!(信仰)

ワニウエイブ
「その部分の価値判断のほうが重要である」というのは、確信なんですけど、論理的には説明できない(論理でない価値基準を重要とすることが論理的でないのは当然ですね)。論理と究極的に対立するものが自分の中にあるのだ、そして、だからこそギリギリまで論理的に振る舞おうとせねばならない、と考えています。なんで最初に戻るんですけど「ダサいとかって言ったもんがちでは」っていうのは、めっちゃ近いと思います。事実そういうものでもある。

灰塚いずれ
お話し聞かせていただいてて思ったんですが、自分は「なんの論理にも拠らないカッコよさ」をとらえる感覚が鈍いのかもしれません……「よく分かんないけど好き、なんか知らんけど面白い」みたいな感覚が薄い……感覚が保守的になってるのかしら。

ワニウエイブ
自分が抽象を嗜好することができる、ということが、ぼくにとって「かっこよさ」が存在する確証なんですよね。

灰塚いずれ
もっと「(よく分かんないけど)いいね!」って気軽に言えるようになりたいですね そっちの方が楽しそうな世界なので。

ワニウエイブ
論理的にどちらが優れているわけもない抽象的なものを「好き」と「嫌い」にわけていく感性はわりとみんなにあるはず……!

慈雨
まあでも、なんか知らんけどダサいっていう感覚は逆にないですね。理由なり悪意なりそこに何かがあって言ってる気がします。ダサいは。カッコイイは私には理由がない。

ワニウエイブ
確かに長いこと「かっこいい」「ダサい」やってると、自分がどういった傾向のものをかっこいいと言うのか説明できてしまう(嫌いも説明できる)ということは起こりますね……。

灰塚いずれ
最近買った「よく分かんないけどカッコいいと思ったもの」っていったら「リアルに描かれたピーマンが並んでいるだけの柄の布、10メーターで5000円くらい」しかないです、もっとそういう散財をしたい。

ワニウエイブ
曲作ってると、たとえばバスドラムの音って1000個ぐらいあったりして、その中で「これだ!」って思って選ぶのはかなり抽象的な作業です。

灰塚いずれ
なるほど、私は服を作るプロフェッショナルではありませんが、「いちご柄だよ!」とか「ピンストライプだよ!」とかいろんな柄の布があるのに「ピーマン……ピーマンかわいい……これで甚平作ろう……」って買っちゃったのも抽象的な作業だったんですね(ちょっと違う気がする)。

ワニウエイブ
抽象的ですし、美学的な作業だと思います。

慈雨
豊かな時間ですよね。抽象的な作業やってる時。短歌も同じくです。

ワニウエイブ
ぼくもそう思います。ただ、何かがカッコいいためには、何かがそうではない必要が産まれがちな点だけ注意が必要……という感じかな……。まあともかう、ダサいでも、バカ、でもなんでも、思ったって言わないのは重要ですね! 言っちゃうときはあるが!

慈雨
どうしようもなく生まれてきてしまう「ダサい」を、むやみやたらに自分にも他人にも向けないことは必要ですよね。トラブルにならないためにも。思っても言わないのが大人だから。まあ私もこの前レンタルビデオ屋さんで若い女性店員怒鳴りつけてるジジイに暴言吐いてしまったんですが……。

灰塚いずれ
それは勇気が要ったと思います、たいへんでしたね。

慈雨
隣に男性のパートナーがいなければ出来ませんでした。

ワニウエイブ
どうしても言いたい場合は、言い合いやってバチバチやるのがおもろいとされる共通の領域がみんなにある業界が各所にあって(音楽の一部とかはそうですが)そういうところなら相手のことダサいって言ったりダサいって言われたりが楽しめるので、ルールの中でやりましょう!肉体や意識が反射的にやっちゃうこと、というのも抽象の快楽と密接に結びついている話っぽいんですが、そっちに広がるとややこしすぎるな……!

慈雨
分布図が広がりますねこの話題。

灰塚いずれ
軽い気持ちで出したんですが、わりと散逸の度合いがすごいです。

ワニウエイブ
ALTSLUM、テキストサイトなだからわりと文章が主軸!の人が多そうなので、折に触れて抽象はぶつけていきたい。収録量的にはそろそろ大丈夫かなと思いますが、なんかこれ聞いておきたいとか、これ言っておきたいみたいなのがあれば!(まあシンプルに終わる話なんてのはそうはないですから!)

慈雨
この毎回「ぐぬぬ・・・」ってなる感覚が好きなのでまた参加したいです。ありがとうございました。

灰塚いずれ
今日学んだこと:互いに(同じ/違う)美学を持つ人間として相手のふるまいを尊重する。必要量以上の「ダサい」を自分に向けてはいけない。ピーマンの柄の甚平はきっとかわいいので早く縫うといいよ。私にとってはだいたいこんなかんじでした。ありがとうございました!

ワニウエイブ
倫理的な結論だ!ありがとうございました、ではこんな感じで!

#10 end